玉造稲荷神社

創建は古く豊臣家も崇敬

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玉造稲荷神社

 このあたりは古代、玉造部(たまつくりべ)が居住していたので玉作岡とも言われ、境内の「難波玉造資料館(要予約)」では玉造部にちなむ資料の展示が行われています。主神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)。一般には穀物の神様・稲荷大神として知られる神様です。
戦火による消失後、慶長8年(一六〇三)に豊臣秀頼が社殿、高殿等を再建、豊臣~江戸時代を通じて大阪城の守護神として祀られました。境内の石鳥居は秀頼が奉納したものです。千利休の屋敷も、この岡の南西にありました。

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