住友銅吹所跡

すみともどうふきしょあと

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住友銅吹所跡

●日本は世界有数の銅生産国であった
 島之内1丁目は、寛永年間(一六四〇年頃)住友家2代・友以(とももち)によって開かれた銅精錬所があった一帯である。このあたりは東横堀川、西横堀川、長堀川など、舟運(しゅううん)の利便性を活用して多くの銅吹所があった。
 江戸時代、日本は世界有数の銅産国であり、全国からこの地に粗銅が集まった。住友銅吹所は日本最大の銅精錬所で、日本の生産量の3分の1を精錬。住友は若狭(現・福井県)をはじめ、多くの銅山を所有していたが、元禄時代(一六九〇年代)、愛媛の別子銅山を発見し、ますます栄えた。輸出用の銅はすべて大坂でつくられ、長崎からオランダ、中国、朝鮮へ送られた。

●南蛮吹き
 銅鉱石に含まれた銀を取り出すとき、銅に鉛を混ぜ合わせることで鉛と銀を結びつかせ、銀を含んだ鉛を取り出す。この技術は、友以の父・蘇我理右衛門(そがりえもん)が南蛮人から伝習したと伝えられている。このことから「南蛮吹き」と呼ばれた。『鼓銅図録(こどうずろく)』は、江戸時代初期に住友家が刊行した彩色入りの鉱山技術書。題字は蜀山人(しょくさんじん)によって書かれ、絵図の美しさ、内容の水準の高さにおいても第一級品である。

●遺構・遺物が多数発見
 近年の発掘調査により、金銀を収納する地下金庫や約8基に及ぶ炉跡が発見された。遺構からは上質の国産や輸入の陶磁器が出土。中国製の青花磁器が多く、同じ種類の食器が数十客単位で見つかった。

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所在地
中央区島之内1丁目6番7号
交通機関
● 地下鉄長堀鶴見緑地線 松屋町駅
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