大利鼎吉遭難の地

おおりていきちそうなんのち

次の言語でも読めます: English

投稿日:

大利鼎吉遭難の地

●幕末の歴史・ぜんざい屋事件
 大利鼎吉は、幕末の志士。天保13年(一八四二)生まれ。武市瑞山(たけちずいざん)、通称半平太(はんぺいた)の土佐勤王党に加わる。慶応元年(一八六五)、天王寺の万福寺に屯所を置いていた大坂新撰組は、土佐藩浪士の不穏な情報を得、襲撃を実行。浪士の潜伏先がぜんざい屋だったため、俗に「ぜんざい屋事件」と呼ばれる。このとき、斬殺されたのが大利鼎吉である。新撰組の隊士4人に襲われ、24歳の命を絶った。大坂出身の新撰組隊士の谷兄弟が強襲をかけたとき、ほとんどの浪士は外出中で、部屋にいたのは、店主と鼎吉の2人のみ。鼎吉の奮闘もあり、討ち取るまで4人がかりで1時間を要したといわれている。明治31年(一八九八)、「正五位」を贈られている。石碑には、辞世が刻まれている。「ちりよりも かろき身なれど大君に こころばかりは けふ報ゆるなり」

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区瓦屋町1-11
交通機関
地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
12 人中 11 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
大村益次郎卿 殉難報国の碑

●才能をみがく  本名、村田蔵六(むらたぞうろく)。文政7年(一八二四)、山口県に生まれる。幼い頃から冷静沈着で抜群に頭がよく、医師になるため23歳で大坂へ。緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾で学び、医 …

水呑地蔵尊

●優しいまなざしで地域を見守る  地蔵尊の本院は八尾市の水呑地蔵堂。太閤秀吉(ひでよし)の大坂城築城の際、東横堀川開削のため八尾の久宝寺の人々が移り住み、親しんでいたお地蔵さんを久宝寺町・粉川町界隈( …

土屋相模守蔵屋敷跡

●4代の将軍に仕えた老中  常陸国(現・茨城県)土浦藩主、土屋政直(つちやまさなお)。寛永18年(一六四一)生まれ、享保7年(一七二二)没。  徳川綱吉以降4人の将軍に老中として仕えた。中でも8代将軍 …

直木三十五記念館
直木三十五記念館

●文学界を代表する賞にその名を残す 直木三十五は、明治24年(1891)安堂寺町生まれ。 39歳で書いた『南国太平記』で一躍時代の寵児となり、大衆文学という分野で確たる地位を築いたが、昭和9年(193 …

油掛地蔵尊

●日に50人はお参りに  約1300年前のものといわれる地蔵尊。『古事記』『日本書紀攝津名所図絵』にも記載されている。悪疫・火防の退散などのご利益があると慕われ、今も線香が絶えない。  地蔵を拝む際に …