江戸時代の大阪は銅精錬業の中心地で、水運に便利な堀川沿いに多くの銅吹所があり、海外へも輸出していました。中でも全国一の規模だったのが住友銅吹所です。寛永年間(一六三〇年代)に住友家二代友以(とももち)によってつくられ、幕末には、オランダ人シーボルトも見学しました。発掘調査により、敷地の東半分には約80基の炉跡などがあり、西半分には元禄初期に建築された住友屋敷があったことがわかっています。勘定場部屋の下の石組穴蔵は、地下金庫として金銀が収納されていたようです。
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投稿日:2016/11/09 更新日:
江戸時代の大阪は銅精錬業の中心地で、水運に便利な堀川沿いに多くの銅吹所があり、海外へも輸出していました。中でも全国一の規模だったのが住友銅吹所です。寛永年間(一六三〇年代)に住友家二代友以(とももち)によってつくられ、幕末には、オランダ人シーボルトも見学しました。発掘調査により、敷地の東半分には約80基の炉跡などがあり、西半分には元禄初期に建築された住友屋敷があったことがわかっています。勘定場部屋の下の石組穴蔵は、地下金庫として金銀が収納されていたようです。
空堀・直木三十五記念館→住友銅吹所跡→松屋町筋→近松門左衛門墓所→井原西鶴墓所→高津神社→中寺→大槻能楽堂