豊臣秀吉が大阪城を築いて城下町整備を行った時、多くの寺院を集めた「寺町」が、我が国で初めてつくられました。寺を集めることで、合戦の時の防衛ラインにしようと考えたのです。実際に、大阪夏の陣では、大阪城から四天王寺にかけて西軍と東軍の激しい戦いが行われました。現在でも、木造の古いお寺が残っています。人形浄瑠璃の発展に寄与した豊竹若太夫や歌舞伎役者の墓所、梶井基次郎の墓所が境内にある寺もあります。
次の言語でも読めます: English
投稿日:2016/11/09 更新日:
豊臣秀吉が大阪城を築いて城下町整備を行った時、多くの寺院を集めた「寺町」が、我が国で初めてつくられました。寺を集めることで、合戦の時の防衛ラインにしようと考えたのです。実際に、大阪夏の陣では、大阪城から四天王寺にかけて西軍と東軍の激しい戦いが行われました。現在でも、木造の古いお寺が残っています。人形浄瑠璃の発展に寄与した豊竹若太夫や歌舞伎役者の墓所、梶井基次郎の墓所が境内にある寺もあります。
空堀・直木三十五記念館→住友銅吹所跡→松屋町筋→近松門左衛門墓所→井原西鶴墓所→高津神社→中寺→大槻能楽堂