寛永11年(一六三四)、三代将軍徳川家光が大阪城へ来た時、大阪の町中の地子銀(じしぎん)(固定資産税)を永久に免除することを約束しました。このことに感謝して釣鐘がつくられ、時を知らせる鐘の音が町に響くようになりました。鐘楼は明治3年(一八七〇)に撤去され、大阪府庁屋上に保存されていましたが、昭和60年(一九八五)、地元有志の努力によって再びもとの釣鐘屋敷跡に戻されました。釣鐘町の名前の由来にもなりました。
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投稿日:2016/11/09 更新日:
寛永11年(一六三四)、三代将軍徳川家光が大阪城へ来た時、大阪の町中の地子銀(じしぎん)(固定資産税)を永久に免除することを約束しました。このことに感謝して釣鐘がつくられ、時を知らせる鐘の音が町に響くようになりました。鐘楼は明治3年(一八七〇)に撤去され、大阪府庁屋上に保存されていましたが、昭和60年(一九八五)、地元有志の努力によって再びもとの釣鐘屋敷跡に戻されました。釣鐘町の名前の由来にもなりました。
淀屋屋敷跡→懐徳堂跡→適塾→少彦名神社→旧小西家住宅→里程元標跡→釣鐘屋敷跡→八軒家船着場跡