越中井

細川ガラシャ終焉の屋敷跡

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越中井

 大阪城はその盛衰と共に多くの人々の運命を巻き込み、悲劇も生まれました。秀吉の死後、慶長5年(一六〇〇)に起きた関ヶ原合戦では、西軍の石田三成が、城下に住んでいた細川忠興(ただおき)の妻・お玉(洗礼名ガラシャ)を人質に取ろうとして、細川家の屋敷を兵で囲みました。ガラシャは人質になることを拒み、キリシタンとして、自分で命を絶つことは許されないため、家臣に胸を突かせて死んだと言われています。37歳の時でした。細川屋敷の台所にあった井戸が、越中井(細川越中守の井戸)として残っています。

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