秀吉が整備した日本最古の下水道で、建物と建物が背中合わせになっているところに通されたので「背割(せわり)下水」とも呼ばれました。石垣で固められ、東西に流れる横堀川に排水されました。通常、幅は一尺(約30cm)で、大きなものは二間(3.6m)もありました。江戸期には、下水溝の維持管理は町内の町衆によって行われ、「水道浚(ざら)え」と呼ばれた一斉清掃や、補修などの記録が残っています。かつては総延長約350kmあり、今でも約20kmが使用されています(見学は要予約)。
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秀吉が整備した日本最古の下水道で、建物と建物が背中合わせになっているところに通されたので「背割(せわり)下水」とも呼ばれました。石垣で固められ、東西に流れる横堀川に排水されました。通常、幅は一尺(約30cm)で、大きなものは二間(3.6m)もありました。江戸期には、下水溝の維持管理は町内の町衆によって行われ、「水道浚(ざら)え」と呼ばれた一斉清掃や、補修などの記録が残っています。かつては総延長約350kmあり、今でも約20kmが使用されています(見学は要予約)。
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