淀屋は江戸期の大阪を代表する豪商です。初代・常安はその商才によって材木商、土木請負、運送倉庫業から、米取引、両替商と事業を拡大し、資産を成しました。徳川家の御用商人を勤め、米取引は、元禄10年(一六九七)に堂島に移るまで、淀屋橋の南詰めにあった淀屋の店先で行われました。この淀屋橋は、市場の便宜のために二代目个庵(こあん)が私費で架けたものです。个庵は多くの大名の蔵元になり、莫大な財産を得て、贅沢に暮らしたと言われます。
次の言語でも読めます: English
投稿日:2016/11/09 更新日:
淀屋は江戸期の大阪を代表する豪商です。初代・常安はその商才によって材木商、土木請負、運送倉庫業から、米取引、両替商と事業を拡大し、資産を成しました。徳川家の御用商人を勤め、米取引は、元禄10年(一六九七)に堂島に移るまで、淀屋橋の南詰めにあった淀屋の店先で行われました。この淀屋橋は、市場の便宜のために二代目个庵(こあん)が私費で架けたものです。个庵は多くの大名の蔵元になり、莫大な財産を得て、贅沢に暮らしたと言われます。
淀屋屋敷跡→懐徳堂跡→適塾→少彦名神社→旧小西家住宅→里程元標跡→釣鐘屋敷跡→八軒家船着場跡