芝川ビル
しばかわびる
投稿日:2020/03/06 更新日:
●花嫁学校として活躍した近代ビル
芝川ビルは、関東大震災の後「火事、地震に強い建物を」との思いから、芝川又四郎(しばかわまたしろう)が建設した。又四郎は、江戸時代から続く商家の6代目で、不動産業を営んでいた。
鉄筋コンクリート造、地上4階、地下1階で、昭和2年(一九二七)、渋谷五郎(しぶやごろう)と本間乙彦(ほんまおとひこ)が設計した。
竣工当時は自家用として使用するつもりだったが、教育に強い関心をもっていた又四郎は、昭和4年(一九二九)、ビル内に「芝蘭社(しらんしゃ)家政学園」を開校した。洋裁・和裁・習字・生け花・茶道・割烹など多彩な授業を開講し、自由な構想で教育が行われた。昭和18年(一九四三)の閉校までに、三千人以上が卒業している。戦後はテナントビルとして使われている。
ホームページ
所在地
大阪市中央区伏見町3丁目3番3号
交通機関
●Osaka Metro(大阪メトロ)御堂筋線「淀屋橋」駅
●京阪電鉄「淀屋橋」駅
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