帝国座跡

ていこくざあと

次の言語でも読めます: English

投稿日:2017/04/18 更新日:

帝国座跡

●大阪初の純洋式劇場
 オッペケペー節で知られた川上音二郎(かわかみおとじろう)が、新しい演劇の拠点として明治43年(一九一〇)に建築したのが帝国座。大阪初の純洋式劇場で、花道やオーケストラ・ボックスも備わっていた。1000人を収容でき、『オセロ』『ベニスの商人』などを上演。帝国座の運営は完成当初から行き詰まり、やがて立ち行かなくなる。
 その後、建物は進駐軍のチャペルとして使われた。昭和40年(一九六五)頃まで北浜教会として使われていたが、今はその場所に碑のみが残る。

●はちゃめちゃ人生川上音二郎
 藩の御用商人であった音二郎の父は、遊芸が好きで家庭を顧みなかったという。母は学問好きで「父のようにならず、太閤秀吉のように立身出世をしなさい」と言い残して死んでしまう。音二郎14歳の時だった。その後、音二郎は船の積荷の陰に隠れて、東京へ行き着く。福沢諭吉(ふくざわゆきち)に見いだされ、慶応義塾の書生になったり、巡査、新聞記者、寄席芸人などさまざまな職業を転々とする。やがてオッペケペーで有名になり、演劇界の風雲児となる。

●演劇界に近代の風
 音二郎は、自ら舞台に立って演劇界を刺激し続けた。「女優養成所」を設立するなど、革新的なシステムを確立。数々の批判を受けながらも、その演劇魂は民衆に大反響を呼んだ。
 しかし、帝国座開場の翌年、旅先の舞台で発病。妻で女優の貞奴(さだやっこ)は、音二郎を病院から帝国座に運び込み、楽屋で臨終を迎えさせた。享年47歳。葬儀では、別れを惜しむ大阪市民が街を埋め尽くしたという。

★もっと深く知ろう!
【もっと知りたい川上音二郎】
 音二郎は元治元年(1864)、福岡・博多生まれ、明治44年(1911)没。音二郎の舞台を観てファンになった、妻・貞奴は、日本初の女優といわれている。

◀明治を駆け抜けた演劇人

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区北浜4-4 住友信託銀行南館前
交通機関
●地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」
    四つ橋線「肥後橋駅」
●京阪電鉄「淀屋橋駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
6 人中 6 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
淀屋橋
淀屋橋

●淀屋は取り潰されたが、橋は残った  江戸時代初期に活躍した大商人・淀屋によって架けられたと伝えられる。現在の橋のデザインは懸賞募集によって決められた。  なにわ名橋50選の一つ。

除痘館跡

●天然痘予防のために洪庵が設立  緒方洪庵(おがたこうあん)は、当時多数の死亡者を出していた天然痘の予防のため、多くの医師とともに嘉永2年(一八四九)除痘館(私立種痘所)をつくり、種痘を行った。その場 …

大阪ガスビルディング

●御堂筋とともに誕生したガスビル  巨大な客船を思わせる白亜のビルが御堂筋に面して建つ。設計者は安井武雄(やすいたけお)、昭和8年(1933)に竣工。地上8階建て、地下2階。外壁は1・2階を石材で黒く …

御霊神社

●浪速の氏神  創建は古く、800年代後半。大阪湾が深く入りこんで、葦が繁る円形の入り江に祀られた円(つぶら)神社に始まる。文禄3年(1594)、円江(つぶらえ・現在の西区靭)から現在地に鎮座し、江戸 …

踊り子/フェルナンド・ボテロ
御堂筋彫刻ストリート / 踊り子:W-8

 モナ・リザも、アダムとイヴも、精悍な騎士も、フェルナンド・ボテロが描くと、太っちょのまんまるに変身してしまう。戦後の具象画家の中でも彼ほど際立ったスタイルをもつ美術家は珍しい。この作品は、他の彫刻家 …