●御堂筋とともに誕生したガスビル
巨大な客船を思わせる白亜のビルが御堂筋に面して建つ。設計者は安井武雄(やすいたけお)、昭和8年(1933)に竣工。地上8階建て、地下2階。外壁は1・2階を石材で黒くまとめ、上部は白色のタイル貼り。御堂筋の銀杏並木に映え、「都市建築物の極致」「街路景観にマッチしたオフィスビルの最高峰」と絶賛されている。昭和41年(1966)に安井の後継者・佐野正一(さのしょういち)の設計で北館が増築され、現在も大阪ガスの本社ビルとして使用されている。
●織田作之助と将棋とガスビル食堂
昭和15年(1940)、『夫婦善哉』で文壇にデビューした織田作之助(おださくのすけ)は将棋好きで、ガスビルにあった学士会倶楽部の将棋会に加わるようになった。大阪文壇の第一人者・藤沢桓夫(ふじさわたけお)に連れられての参加だった。将棋会はハイカラな雰囲気のガスビル食堂で催され、モダンな酒場や本格西洋料理が当時の文化人にもてはやされた。2階のホールでは、名画の試写会やエンタツ・アチャコの漫才などが人気を呼び、文化の拠点となっていた。
●戦災を免れたのは
昭和16年(1941)12月、太平洋戦争が起こり、屋上ネオン塔、エレベーター、エスカレーター、手摺り、窓枠などは金属供出された。昭和19年(1944)には、白亜の外壁を自社生産のコールタールで真っ黒に迷彩塗装を施し、空襲を避けた。昭和20年(1945)3月の大阪大空襲では、全館に備えていたシャッターを下ろし、7・8階の一部が焼けただけで難を免れた。
●地下鉄御堂筋線・中央線「本町」駅