●異例の鉄筋コンクリート製
三津寺は、奈良時代の難波宮遷都の際に、僧の行基(ぎょうき)が開いたと伝えられている。めずらしいのは寺院の台所や住居部分である庫裡(くり)だ。昭和8年(一九三三)の御堂筋拡張工事のときに新築されたものだが、寺院としては異例の鉄筋コンクリート製が話題となり、新聞にも報道された。
なお、文化5年(一八〇八)に建てられた木造の本堂は戦災を無事免れ、庫裡ともども往時の姿をそのまま保っている。
※追記
三津寺は、令和5年(二〇二三)、本堂を包み込むような地上15階・地下3階のビルに全面改修され、寺院・ホテル・商業施設一体型の複合施設となった。歴史を受け継ぎながら、寺院とともに新たなにぎわいを生み出す場となっている。
●大阪府の近代のさきがけ
明治12年(一八七九)4月に三津寺の本堂を仮議場として、第1回大阪府会の開会式が行われた。この府会は以後、 現在の大阪府議会へと連綿と続いていく。
三津寺では少し手狭だったらしく、開会式後は議場を本願寺津村別院(北御堂)へと移した。「議員諸氏は人民の代表としてはずかしくないように」という意味の当時の大阪府知事の訓辞が残されている。
だが第1回だったこともあり、宴会に終始する不真面目な議員もいたようで、宴会が豆腐屋で開かれることも多かったので、 「府会ではなくとうふ会だ」と言われたという逸話が残っている。
●「みってらさん」と大阪の人は呼ぶ
三津寺のことを、大阪の人々は親しみをこめて「みってらさん」と呼ぶ。軽やかな呼びかけに、大阪人の心に根ざした三津寺への愛着が表れているようだ。三津寺の前を東西に通る道路は、そのまま「三津寺筋(みってらすじ)」と呼ばれている。