除痘館跡

じょとうかんあと

次の言語でも読めます: English

投稿日:

除痘館跡

●天然痘予防のために洪庵が設立
 緒方洪庵(おがたこうあん)は、当時多数の死亡者を出していた天然痘の予防のため、多くの医師とともに嘉永2年(一八四九)除痘館(私立種痘所)をつくり、種痘を行った。その場所ははじめ古手町(道修町4丁目)につくったが、万延元年(一八六〇)にこの場所に移し、全国に種痘ワクチンを送って幅広く活動した。
 なお、古手町の除痘館の跡地付近(道修町4丁目4番)にも「除痘館発祥の地」碑が建立された。

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区今橋3-2
交通機関
●地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」
●京阪電鉄「淀屋橋駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
15 人中 6 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
啓示/日高正法
御堂筋彫刻ストリート / 啓示:W-5

 この作品は、天から落ちてくる「神の声」と、それを受けとめる人間を表現しており、作品では、直線と曲線、鋭角と穏やかなカーブ、天を指す手と地に向かう紡錘形の物体、密と粗など、背反する要素の組合せによって …

御霊神社

●浪速の氏神  創建は古く、800年代後半。大阪湾が深く入りこんで、葦が繁る円形の入り江に祀られた円(つぶら)神社に始まる。文禄3年(1594)、円江(つぶらえ・現在の西区靭)から現在地に鎮座し、江戸 …

大阪商法会議所跡

●大阪経済の近代化をはかる  明治初期、維新変動の波を受け、大阪経済は低迷期に入っていた。銀主体の商取引の廃止と、藩債の整理による富豪や両替商の資産消失がおもな原因である。この事態を打開し、大阪経済繁 …

淀屋橋
淀屋橋

●淀屋は取り潰されたが、橋は残った  江戸時代初期に活躍した大商人・淀屋によって架けられたと伝えられる。現在の橋のデザインは懸賞募集によって決められた。  なにわ名橋50選の一つ。

梅川・忠兵衛 ゆかりの淡路町

大当たり浄瑠璃は実話だった近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の傑作の一つ、『冥途(めいど)の飛脚』は、実話を題材に書かれたもの。 遊女梅川に入れあげる忠兵衛が養子に入ったのが、この淡路町にあった飛脚 …