●近松物で大成功をおさめる
初代・竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が貞亨元年(一六八四)、人形浄瑠璃の小屋として開いたのが竹本座である。近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)を作者として迎えコンビを組み、興行的にも大成功をおさめた。2人が没した後も竹本座は竹田出雲(たけだいづも)の努力で繁栄したが、出雲の死後は人気が衰え、明和4年(一七六七)閉鎖。ついに80余年の歴史を閉じた。
しかし、文楽の保存振興の気運が高まり、昭和38年(一九六三)には、財団法人文楽協会が設立された。竹本座から始まった人形浄瑠璃という大阪の古典芸能は、国立文楽劇場開場というかたちで、復興を遂げたのである。
●義太夫節は声楽の一種
義太夫節はその名称からわかるように、竹本義太夫によって始められた一種の声楽である。
わが国に古くからある声楽は「語り物」と「謡(うた)い物」の2つに分けられる。語り物は、物語に節をつけて語って聞かせるもので、謡い物はメロディー、リズム、テンポに重点がおかれたもの。
義太夫節の芸能としてのルーツは、琵琶の伴奏にあわせて『平家物語』を語って聞かせる平曲(へいきょく)だとされている。
●竹本座と豊竹座の競い合い
元禄16年(一七〇三)、義太夫の弟子であった豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)が同じ道頓堀に豊竹座を開き、人気を集めた。竹本座の人形遣いで、女形の所作で人気を博した辰松八郎兵衛(たつまつはちろべえ)を共同経営者とし、竹本座に対抗する一大勢力となった。
こうして道頓堀には地味で重厚な芸風の竹本座と、はでで技巧的な豊竹座が並び立ち、浄瑠璃の全盛期を迎えた。これが「竹豊時代」である。
★もっと深く知ろう!
【3人遣いの妙】
一人が人形の首(かしら)に つながる棒を左手で握り人形全 体を支え、右手で人形の右手を 操作する。もう一人は人形の左 手を遣い、さらにもう一人が足 の運びを操る。3人の気持ちが ぴったり合わなければとても生 きているように見えない。
▲文楽の3人遣い
堺筋線・千日前線「日本橋駅」
●近鉄線「近鉄難波駅」・「近鉄日本橋駅」