●船場に田畑が残っていた時代を物語る
農民が耕作のために通った橋だったことから、農人橋という名がついた。江戸時代、農人橋は大坂城への直接の連絡口だったため、幕府が直轄管理する公儀橋となった。なにわ名橋50選の一つ。
所在地
中央区農人橋3丁目~船場中央1丁目
交通機関
地下鉄堺筋線・中央線「堺筋本町駅」
次の言語でも読めます: English
投稿日:2017/02/27 更新日:
●船場に田畑が残っていた時代を物語る
農民が耕作のために通った橋だったことから、農人橋という名がついた。江戸時代、農人橋は大坂城への直接の連絡口だったため、幕府が直轄管理する公儀橋となった。なにわ名橋50選の一つ。
●「平生即ち辞世なり」 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。有名な松尾芭蕉の句である。これが辞世句だといわれているが、正確なところ芭蕉には辞世の句というものは存在しない。それは、芭蕉が常に死を意識し …
太い縄のような豊かな髪、豊満な肉体が目をひく大胆な作品であり、原始彫刻とキュビスムが融合して発展したものである。空を見上げてゆったりと髪をとく姿は、穏やかで温かな印象を受け、バルタサール・ロボの理想 …
●近代大阪の経済発展に多大な足跡 五代友厚は、天保6年(一八三五)鹿児島生まれ。ヨーロッパに留学して外国事情に通じていたことから、明治元年(一八六八)、外国事務局判事として大阪に勤務。ここから大阪との …
●未来に時を刻む 昭和5年(一九三〇)の完成当初は1階から4階までが陳列室や事務所、5階は畳敷きの大広間で洗面室などがあり、10代の丁稚が住み込んでいたという。デモクラシーの花咲く大正モダンの時代か …
●正式名称は真宗大谷派難波別院 難波別院は、浄土真宗の真宗大谷派と呼ばれる宗派である。 文禄5年(1596)、真宗大谷派の開祖である第12世・教如(きょうにょ)が、現在の北区の天満橋と天神橋の間に …