津村別院(北御堂)

つむらべついん(きたみどう)

次の言語でも読めます: English

投稿日:2012/09/14 更新日:

津村別院(北御堂)

●大坂誕生に立ち会った宗派
 浄土真宗本願寺派と大坂の関係は古い。本願寺第8世・蓮如(れんにょ)が明応5年(1496)に石山御坊を現在の大阪城の地に建設したのが始まりとされる。
 織田信長(おだのぶなが)との合戦のあと焼失し、天正19年(1591)には豊臣秀吉(とよとみひでよし)の寄進により京都に本山が移転する。
 津村別院は当初、「津村御坊」の名で慶長2年(1597)につくられた。江戸時代は、その南側に1年後に建てられた難波別院とあわせて「御堂さん」として親しまれた。

●「北の御堂さん」と呼ばれて
 大阪を南北につらぬく御堂筋の名前は、北御堂・南御堂と呼ばれたこの2つの別院に由来している。名付け親は元大阪市長・關一(せきはじめ)氏だ。
 この周辺の船場と呼ばれる場所は、江戸時代の商人たちに「御堂さんの屋根の見えるところで、鐘の音の聞こえるところで商売がしたい」とまで言わしめた、ステイタスのある立地。
 商業都市としての隆盛を誇った大坂の町が、そのまま現在の大阪へとつながっていることを考えれば、御堂さんの果たした役割が理解できる。
 毎年4月8日の花まつり、8月の盆踊り、12月大晦日の除夜会などの行事が行われている。

■もっと深く知ろう
【探検家大谷光瑞資料室】
 第22世・鏡如( きょうにょ)は探検家大谷光瑞(おおたにこうずい)としても知られ、明治35年(1902)から3度にわたり、仏教伝播ルート解明のためのシルクロード探検隊を組織した。
 その資料の一部が展示されている。もっと深く知ろう!

探検家シルクロードを歩いた男の足跡

現在地からルート検索
ホームページ
https://www.kitamido.or.jp/
所在地
中央区本町4丁目1番3号
交通機関
地下鉄御堂筋線「本町」駅
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
6 人中 6 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
渚/淀井敏夫
御堂筋彫刻ストリート / 渚:E-11

 淀井敏夫は、昭和の具象彫刻界の大家の1人である。彼には、動物をモチーフにした作品が多く、それらは、まるでジャコメッティ彫刻のような繊細な構成によって、生き物の命のはかなさを感じさせる。この作品は、海 …

腕を上げる大きな女/アントワーヌ・ブールデル
御堂筋彫刻ストリート / 腕を上げる大きな女:E-10

 丸太のような太い腕、球形に近い小さな頭部、円筒形のしっかりした首、そしてギリシャ式の壷形の堂々たる体躯、それらが絶妙のバランスの中で一体となって、この作品を構成する。腕を頭の上で組む以外は、身体にほ …

油掛地蔵尊

●日に50人はお参りに  約1300年前のものといわれる地蔵尊。『古事記』『日本書紀攝津名所図絵』にも記載されている。悪疫・火防の退散などのご利益があると慕われ、今も線香が絶えない。  地蔵を拝む際に …

井原西鶴文学碑

●江戸時代のベストセラー作家 井原西鶴は、元禄時代の俳諧師・小説家。好色ものから町人ものに転じた、第1作である『日本永代蔵』巻一「初午は乗ってくる仕合(しあわせ)」 のはじめの一節「天道言(ものい)は …

農人橋

●船場に田畑が残っていた時代を物語る 農民が耕作のために通った橋だったことから、農人橋という名がついた。江戸時代、農人橋は大坂城への直接の連絡口だったため、幕府が直轄管理する公儀橋となった。なにわ名橋 …