●「平生即ち辞世なり」
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。有名な松尾芭蕉の句である。これが辞世句だといわれているが、正確なところ芭蕉には辞世の句というものは存在しない。それは、芭蕉が常に死を意識していたからだといわれている。一句一句がすべて辞世の句のつもりで詠んでいたのである。
●旅して俳諧をつくり、旅に死す
井原西鶴(いはらさいかく)、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と並んで元禄時代を代表する文人の一人、松尾芭蕉。「俳聖」とも呼ばれた彼は寛永21年(一六四四)に伊賀国(現・三重県)に生まれる。30歳の頃から江戸にて俳諧の修行を積み、のちに『笈(おい)の小文(こぶみ)』や『奥の細道』などを記し、数々の名句を残した。元禄7年(一六九四)の9月には大坂に旅した。大坂の門人の不和を和解させるためだったと伝えられている。その途中で体調が悪化し、10月12日に南御堂前の花屋の座敷で死去。享年51歳だった。
●街中に佇む終焉の碑
現在の「芭蕉終焉の地」の碑は、難波別院(南御堂)の前、御堂筋の緑地帯内にひっそりと建つ。もともとはそのあたりまでまち並みがあったのだが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった。碑は昭和9年(一九三四)に大阪府が建立。亡骸は本人の意向により、生前に愛した滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られている。風光明媚な土地柄と、源義仲という歴史上の人物を好んでいたからだという。
★もっと深く知ろう!
【芭蕉の碑がもう一つ】
この「芭蕉終焉の地」碑の向かいにある南御堂内には、「旅に病んで」の句碑がある。天保14年(1843)、芭蕉の150回忌に天保の俳人たちによって建立されたといわれている。