芭蕉終焉の地

ばしょうしゅうえんのち

次の言語でも読めます: English

投稿日:2017/03/15 更新日:

芭蕉終焉の地

●「平生即ち辞世なり」
 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。有名な松尾芭蕉の句である。これが辞世句だといわれているが、正確なところ芭蕉には辞世の句というものは存在しない。それは、芭蕉が常に死を意識していたからだといわれている。一句一句がすべて辞世の句のつもりで詠んでいたのである。

●旅して俳諧をつくり、旅に死す
 井原西鶴(いはらさいかく)、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と並んで元禄時代を代表する文人の一人、松尾芭蕉。「俳聖」とも呼ばれた彼は寛永21年(一六四四)に伊賀国(現・三重県)に生まれる。30歳の頃から江戸にて俳諧の修行を積み、のちに『笈(おい)の小文(こぶみ)』や『奥の細道』などを記し、数々の名句を残した。元禄7年(一六九四)の9月には大坂に旅した。大坂の門人の不和を和解させるためだったと伝えられている。その途中で体調が悪化し、10月12日に南御堂前の花屋の座敷で死去。享年51歳だった。

●街中に佇む終焉の碑
 現在の「芭蕉終焉の地」の碑は、難波別院(南御堂)の前、御堂筋の緑地帯内にひっそりと建つ。もともとはそのあたりまでまち並みがあったのだが、御堂筋拡張工事に伴い、緑地帯の中に入ってしまった。碑は昭和9年(一九三四)に大阪府が建立。亡骸は本人の意向により、生前に愛した滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られている。風光明媚な土地柄と、源義仲という歴史上の人物を好んでいたからだという。

★もっと深く知ろう!
【芭蕉の碑がもう一つ】
この「芭蕉終焉の地」碑の向かいにある南御堂内には、「旅に病んで」の句碑がある。天保14年(1843)、芭蕉の150回忌に天保の俳人たちによって建立されたといわれている。

元禄の俳聖を偲んで
現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区久太郎町3 御堂筋緑地帯内
交通機関
地下鉄御堂筋線・四つ橋線・中央線「本町駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
180 人中 173 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
三木楽器開成館

●ピアノの音色が響く近代建築  日本最古の楽器店といわれている会社の本社社屋として「三木楽器開成館」は、現在も活躍している。  創業100周年にあたる大正14年(一九二五)、増田建築事務所の設計で、鴻 …

心斎橋北商店街
心斎橋筋北商店街

 ファッションの拠点・心斎橋からビジネスエリア本町を結ぶ、おとなたちの散歩道。心斎橋の発祥地であり、キモノから靴、ジュエリー、バレエやダンスの衣裳探しまで、こだわりをもった88のお店が女性を魅了する。

踊り子/フェルナンド・ボテロ
御堂筋彫刻ストリート / 踊り子:W-8

 モナ・リザも、アダムとイヴも、精悍な騎士も、フェルナンド・ボテロが描くと、太っちょのまんまるに変身してしまう。戦後の具象画家の中でも彼ほど際立ったスタイルをもつ美術家は珍しい。この作品は、他の彫刻家 …

道東の四季‐春/舟越保武
御堂筋彫刻ストリート / 道東の四季‐春:E-12

 北海道釧路市にある弊舞橋に設置されている4作家競作による「道東の四季」のうちの1点「春」のエスキースである。実際に釧路に設置されている像は薄衣をまとっているが、この作品は、裸体である。舟越保武は、清 …

泊園書院跡

●大阪漢学の拠点  儒学者・藤沢東畡(ふじさわとうがい)が文政8年(一八二五)、大坂に出て泊園書院を設立。当時、民衆に漢学を教えた私塾である。東畡の別号が「泊園」。「泊園」は利欲にとらわれないという意 …