●橋詰には船着き場があった
道頓堀川の開削当初から整備されていたと考えられる。江戸幕府直轄の公儀橋。明治時代に市電を通すため鋼橋になり、現在の橋も地下鉄建設のために架け替えられた。 なにわ名橋50選の一つ。
所在地
中央区島之内2丁目~道頓堀1丁目
交通機関
●地下鉄堺筋線・千日前線「日本橋駅」
●近鉄線 近鉄「日本橋駅」
●近鉄線 近鉄「日本橋駅」
次の言語でも読めます: English
投稿日:
●橋詰には船着き場があった
道頓堀川の開削当初から整備されていたと考えられる。江戸幕府直轄の公儀橋。明治時代に市電を通すため鋼橋になり、現在の橋も地下鉄建設のために架け替えられた。 なにわ名橋50選の一つ。
「日本橋の聖天さん」で親しまれている法案寺南坊は、2度移転した経緯がある。 最初は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の頃、法円坂付近にあった寺は、大坂城築城のとき生國魂神社の社地に移った。「法円坂」の名 …
●4代の将軍に仕えた老中 常陸国(現・茨城県)土浦藩主、土屋政直(つちやまさなお)。寛永18年(一六四一)生まれ、享保7年(一七二二)没。 徳川綱吉以降4人の将軍に老中として仕えた。中でも8代将軍 …
●江戸時代の銅貨の鋳造所 元文5年(一七四〇)、銀座年寄が幕府の許可を得てこの地に鋳銭所を建設。鋳造高は年間20万貫に達した。延享2年(一七四五)に廃止。跡地は幕府米蔵である天王寺御蔵となった。
●人の道を説いた堂々たる石碑 幕末の儒学者・藤沢南岳(ふじさわなんがく)作の生活訓が漢文で書かれている。南岳は泊園書院2代目院主。
なんばグランド花月(NGK)のすぐ近くにある商店街。創業60年以上の食べどころ、飲みどころなど、ガイドブックに載らない地元の人の行きつけが点在している。通りを抜けると黒門市場方面へ。