●銅が輸出品の時代の、銅集めの役所
明和3年(一七六六)、銅の管理を行う銅座がここに置かれた。江戸時代、銅は重要な輸出品で、大坂は当時の銅精錬業の中心であった。諸国の銅山より産出した粗銅は銅座がすべて買い上げ、大坂で技術を競っていた銅吹仲間に精錬させた後、再び集めて海路長崎に送り、輸出された。
また銅の密売を防ぐために、古銅類買い上げの精細な規定がつくられ、銅器の破片に至るまで管理された。
●京阪電鉄「淀屋橋駅」
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●銅が輸出品の時代の、銅集めの役所
明和3年(一七六六)、銅の管理を行う銅座がここに置かれた。江戸時代、銅は重要な輸出品で、大坂は当時の銅精錬業の中心であった。諸国の銅山より産出した粗銅は銅座がすべて買い上げ、大坂で技術を競っていた銅吹仲間に精錬させた後、再び集めて海路長崎に送り、輸出された。
また銅の密売を防ぐために、古銅類買い上げの精細な規定がつくられ、銅器の破片に至るまで管理された。
●淀屋は取り潰されたが、橋は残った 江戸時代初期に活躍した大商人・淀屋によって架けられたと伝えられる。現在の橋のデザインは懸賞募集によって決められた。 なにわ名橋50選の一つ。
大当たり浄瑠璃は実話だった近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の傑作の一つ、『冥途(めいど)の飛脚』は、実話を題材に書かれたもの。 遊女梅川に入れあげる忠兵衛が養子に入ったのが、この淡路町にあった飛脚 …
流れるような体の動きが美しく、見る者の視線は、自然に空へと向けられる。高く上げた少女の手には、今にも飛び立ちそうな鳩がいて、その手の先に希望が見えるようである。 寄付者:武田薬品工業株式会社
●東京に先んじた大阪金融界の先進性 明治12年(一八七九)12月、この地に大阪交換所(のちの大阪手形交換所)が開設され、わが国最初の手形交換を始めた。東京での開設は、これより8年後であった。以来10 …
●町人によってつくられた塾が誕生 享保9年(一七二四)、三宅石庵(みやけせきあん)と中井甃庵(なかいしゅうあん)を教授に迎え、5人の町人が出資して、町人のための私塾、懐徳堂を創設。教養としての学問では …