●大阪の医学の祖
江戸時代の大坂には、本格的な蘭学者が一人もいなかった。そこで、町人有志が出資して地元の秀才・橋本宗吉を、江戸へ留学させた。杉田玄白(すぎたげんぱく)・前野良沢(まえのりょうたく)の弟子である、蘭学者の大槻玄沢(おおつきげんたく)の塾で医学だけでなく、地理・物理も修得。帰坂した宗吉は、医師として開業するとともに、私塾・絲漢堂を開いた。宗吉は、宝暦13年(一七六三)生まれ、天保7年(一八三六)没。家は貧しく、傘職人をしていたが、勉強熱心で、エレキテル(電気学)の研究や4カ月でオランダ語4万語を暗記したという逸話が残る。絲漢堂で宗吉の指導を受けた中天游(なかてんゆう)は、その精神を継いで蘭学塾を開く。門下生に緒方洪庵(おがたこうあん)がいる。宗吉の精神は脈々と受け継がれ、現代の大阪医学の礎となった。
●地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線「長堀橋駅」