●広告マンとしての才能も豊かだった
川柳作家。明治25年(一八九二)生まれ、昭和40年(一九六五)没。「頰冠りのなかに日本一の顔」は、初代中村鴈次郎(なかむらがんじろう)が『心中天網島』の花道の出の場面で、頰冠(ほおかぶ)りをして佇む妖しいまでの美しさを詠んでいる。水府はコピーライターとしてグリコの宣伝も行った。
●近鉄線「近鉄難波駅」
●南海電鉄「なんば駅」
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投稿日:2017/04/12 更新日:
●広告マンとしての才能も豊かだった
川柳作家。明治25年(一八九二)生まれ、昭和40年(一九六五)没。「頰冠りのなかに日本一の顔」は、初代中村鴈次郎(なかむらがんじろう)が『心中天網島』の花道の出の場面で、頰冠(ほおかぶ)りをして佇む妖しいまでの美しさを詠んでいる。水府はコピーライターとしてグリコの宣伝も行った。
●別名「縁切り橋」 江戸時代初期(一六八〇年代)に架けられた。「相合」という艶のある名前をもちながら、「縁切り橋」とも呼ばれ、婚礼の行事ではこの橋を渡らなかったという。なにわ名橋50選の一つ。
道頓堀川の北側の東西約350mにわたる、ミナミの夜のまちを代表するまち。大型の焼肉店、すき焼き店、料亭、寿司店、バーやスナックが建ち並ぶ。雑貨の安売店ドンキホーテの黄色い看板で記念撮影を。
●大阪を舞台に、数々のヒット曲 作家・作詞家として活躍。大正12年(一九二三)生まれ、平成16年(二〇〇四)没。戦後初の芥川賞 候補にもなっている。川端康成(かわばたやすなり)唯一の内弟子で、ノーベル …
●大阪を代表する文人 織田作之助は、大正2年(一九一三)10月、生国魂神社の近くで生まれた。終生、大阪をこよなく愛し、出世作『夫婦善哉』をはじめ、大阪の庶民の暮らしを描いた名作を多く残した。 昭和 …
●近松物で大成功をおさめる 初代・竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が貞亨元年(一六八四)、人形浄瑠璃の小屋として開いたのが竹本座である。近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)を作者として迎えコンビを組み …