大阪商法会議所跡
おおさかしょうほうかいぎしょあと
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投稿日:2017/03/09 更新日:
●大阪経済の近代化をはかる
明治初期、維新変動の波を受け、大阪経済は低迷期に入っていた。銀主体の商取引の廃止と、藩債の整理による富豪や両替商の資産消失がおもな原因である。この事態を打開し、大阪経済繁栄の復活を願って、財界指導者の有志15名が明治11年(一八七八)7月、大阪商法会議所設立の願書を大阪府知事に提出した。今日の大阪商工会議所の礎である。
初代会頭は、五代友厚(ごだいともあつ)。五代は、経済・産業界をまとめ、会議所の運営を軌道に乗せた。会議所は創立当初から調査活動を積極的に行っている。特に、天保元年(一八三〇)から50年間の大阪主要商品の物価調査を実施し、徳川時代から明治初めの商業状態がわかる貴重な文献となっている。また、大阪港築港に力を入れ、貿易振興をはかる。7代会頭・土居通夫(どいみちお)のときには、内国博覧会誘致に積極的に動き、大阪経済の復興に大きく貢献した。
昭和3年(一九二八)、大阪商工会議所と名称を変更。現在、松屋町筋にある大阪商工会議所ビルの傍には五代友厚と土居通夫、10代会頭・稲畑勝太郎(いなばたかつたろう)の立像がある。
所在地
大阪市中央区高麗橋3-6 三菱東京UFJ銀行前
交通機関
●地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」
●京阪電鉄「淀屋橋駅」
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