レトロビルコース

ハイカラ香る船場のレトロビルを楽しむ

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投稿日:2011/12/03 更新日:

レトロビルコース

大阪ガスビル→愛珠幼稚園→高麗橋ビルディング→高麗橋野村ビルディング→生駒ビルヂング→綿業会館→旧川崎貯蓄銀行大阪支店→大阪企業家ミュージアム→北御堂(津村別院)→南御堂(難波別院)→御堂筋・彫刻ストリート

レトロビルコースマップ

ルート詳細
大阪ガスビル
大阪ガスビル(レトロビルコース) 大阪ガスビル(レトロビルコース)

 戦前の大阪を代表する建築家・安井武雄の設計により昭和8年(一九三三)に竣工したガス会社の本社ビル。上層部の乳白色のタイルと基壇部の黒御影石のコントラスト、建物の水平方向を強調する庇(ひさし)、交差点を意識した建物コーナーの曲線、リズミカルに連続する窓と柱などが特徴的。日本の近代オフィスビルを代表する建築です。

愛珠幼稚園
愛珠幼稚園(レトロビルコース) 愛珠幼稚園(レトロビルコース)

明治13年(一八八〇)に創立された歴史のある幼稚園。船場北部の連合町会(現在の平野町以北)によって創設され、明治22年(一八八九)に私立幼稚園になりました。明治34年(一九〇一)に現在地に竣工した建物は、現存する日本最古の幼稚園舎です。高塀と大屋根が印象的な 御殿風の建築で、遊戯室は2層吹き抜けの大空間、アール・ヌーボー調の照明が配されています。

※平成19年 国の重要文化財指定
文化遺産オンラインー愛珠幼稚園園舎
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191993

高麗橋ビルディング
高麗橋ビルディング(旧大中証券)(レトロビルコース) 高麗橋ビルディング(旧大中証券)(レトロビルコース)

 日本の近代建築の父・辰野金吾の設計で、明治45年(一九一二)に竣工。赤レンガの外壁に、白い石によってボーダーラインを描いたデザインに特徴があります。建物のコーナーは曲線的で、交差点の角に玄関を置いているのが特徴です。内部はレストランとして再生されています。

高麗橋野村ビルディング(レトロビルコース) 高麗橋野村ビルディング(レトロビルコース)

 安井武雄の設計で昭和2年(一九二七)に竣工した、当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造のオフィスビル。エントランスにはイスラム風の月と竹の装飾があります。1階は南側にカフェ、北側にイタリア料理店が入り、光がまちにこぼれる夕暮れの表情も美しいビルです。

生駒ビルディング
生駒ビルヂング(レトロビルコース) 生駒ビルヂング(レトロビルコース)

 時計・貴金属の老舗が、昭和5年(一九三〇)に竣工した店舗兼オフィスビル。スクラッチタイルとテラコッタによる装飾が特徴的で、2階の窓上に並ぶ御影石の鷲像や階段室の頂部にある時計台などが見どころです。現在はオフィスビルとして再生され、1階にはカフェがあります。

錦業会館
綿業会館(レトロビルコース) 綿業会館(レトロビルコース)

 東洋紡の岡恒夫の遺言と寄付金をもとに、綿業関係者のクラブとしてつくられました。戦前の大阪を代表する建築家・渡辺節の最高傑作で、昭和6年(一九三一)竣工。外観は重厚で、鉄による細かい装飾が正面玄関の扉や外部階段の手すりに施されています。各部屋は異なるデザイン様式となっています(重要文化財)。

旧川崎貯蓄銀行大阪支店(堺筋倶楽部)
旧川崎貯蓄銀行大阪支店(堺筋倶楽部)(レトロビルコース) 旧川崎貯蓄銀行大阪支店(堺筋倶楽部)(レトロビルコース)

 昭和6年(一九三一)竣工。建物の下の部分は荒々しい表面の切石が積み上げてあり、その上に柱が並ぶネオルネッサンス様式の建物です。今はイタリアン料理、フランス料理のレストランとして利用され、金庫室もワインセラーになるなど特色が生かされています。

大阪起業家ミュージアム
大阪企業家ミュージアム(レトロビルコース) 大阪企業家ミュージアム(レトロビルコース)

 大阪産業創造館お地下1階に、平成13年(2001)にオープンしたミュージアムです。大阪の産業や都市づくりをリードしてきたチャレンジ精神あふれる個性豊かな企業家たちの、夢や苦労、成功の喜びを、さまざまなエピソードとともに紹介しています。

北御堂・南御堂
北御堂(津村別院)(レトロビルコース) 北御堂(津村別院)(レトロビルコース)

 秀吉は、本願寺を大谷派(東)と本願寺派(西)に分立させたため、大谷派は難波別院、本願寺派は津村別院を建立。御堂筋の名称は、2つの別院(御堂)の正面を南北に通じたことによります。元禄7年(1694)に南御堂付近で亡くなった松尾芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句碑が南御堂境内の西北隈にあります。

南御堂
南御堂(難波別院)(レトロビルコース) 南御堂(難波別院)(レトロビルコース)

 秀吉は、本願寺を大谷派(東)と本願寺派(西)に分立させたため、大谷派は難波別院、本願寺派は津村別院を建立。御堂筋の名称は、2つの別院(御堂)の正面を南北に通じたことによります。元禄7年(1694)に南御堂付近で亡くなった松尾芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」の句碑が南御堂境内の西北隈にあります。

御堂筋・彫刻ストリート
御堂筋・彫刻ストリート(レトロビルコース) 御堂筋・彫刻ストリート(レトロビルコース)

 昭和12年(1937)5月、イチョウ約800本の並木が彩る御堂筋が完成。周辺ビルの高さを約30mにそろえる百尺制限によって、より美しい景観を生み出しました。現在は、土佐堀通から長堀通の間の歩道に彫刻が並び、「御堂筋彫刻ストリート」として目を楽しませてくれます。

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