●道頓堀の東の玄関口
堺筋でバスを降りて、道頓堀のゲートをくぐれば、ここからミナミが始まります。おでんやうどん、ラーメン、カニ専門店などミナミの老舗飲食店、カラオケ店や競馬の場外券売場など、地元の人がよく利用するまちです。
●食いだおれとネオンの街
大阪ミナミのメインストリート。歌舞伎の劇場があり、かつては大阪のブロードウェイとも呼ばれていた。うどん屋・たこ焼き店やお好み焼き店が多く、粉ものめぐりも楽しめる。中国語・韓国語表記でのメニューを置いてある店も多い。
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投稿日:2011/11/28 更新日:
●道頓堀の東の玄関口
堺筋でバスを降りて、道頓堀のゲートをくぐれば、ここからミナミが始まります。おでんやうどん、ラーメン、カニ専門店などミナミの老舗飲食店、カラオケ店や競馬の場外券売場など、地元の人がよく利用するまちです。
●食いだおれとネオンの街
大阪ミナミのメインストリート。歌舞伎の劇場があり、かつては大阪のブロードウェイとも呼ばれていた。うどん屋・たこ焼き店やお好み焼き店が多く、粉ものめぐりも楽しめる。中国語・韓国語表記でのメニューを置いてある店も多い。
●別名「縁切り橋」 江戸時代初期(一六八〇年代)に架けられた。「相合」という艶のある名前をもちながら、「縁切り橋」とも呼ばれ、婚礼の行事ではこの橋を渡らなかったという。なにわ名橋50選の一つ。
●大阪を舞台に、数々のヒット曲 作家・作詞家として活躍。大正12年(一九二三)生まれ、平成16年(二〇〇四)没。戦後初の芥川賞 候補にもなっている。川端康成(かわばたやすなり)唯一の内弟子で、ノーベル …
●平成19年(二〇〇七)にリニューアル 17世紀初め、戎橋は道頓堀川の開削とほぼ同時期に架けられたと考えられる。江戸時代の一時期、南詰に操(あやつり)芝居の小屋があり、「操(あやつり)橋」と呼ばれた …
●広告マンとしての才能も豊かだった 俳人。明治25年(一八九二)生まれ、昭和40年(一九六五)没。「頰冠りのなかに日本一の顔」は、初代中村鴈次郎(なかむらがんじろう)が『心中天網島』の花道の出の場面 …
●今も続く川柳誌『番傘』の創始者 川柳作家。明治4年(一八七一)生まれ、昭和19年(一九四四)没。大阪毎日新聞社の校正係になり、それを契機として川柳の世界に入った。軽妙なウィットと、知的な諷刺を織り …