●オフィス街に堂々としたアーチ
「南欧風ノ様式ニ東洋風ノ手法ヲ加味セルモノ」と、設計を担当した安井武雄(やすいたけお)が新館竣工記念冊子に記したとおり、南ヨーロッパ風のテラコッタ貼りレンガ様式に東洋風の趣向が凝らされた重厚な建物である。旧館が火災で焼失した2年後の大正13年(1924)、大阪倶楽部新館は竣工した。
5つの白いアーチの間に、柱頭にインド風の飾りのあるトーテムポールが4本。玄関を入ると、獅子の口から落ちる水の流れが迎えてくれる。赤いカーペットの階段が緩やかなカーブを描き、階段の手すりにも細かい細工が施されている。天井も壮麗な装飾に満ち、それを支える梁にもさまざまな趣向がみられる。大阪倶楽部は、綿業会館・大阪ガスビルディングとともに、近代名建築の一つである。
●世界に目を向けた社交場
明治44年(1911)、急激な人口増と繁栄の時代を迎えていた「大大阪」。西洋文化の影響もあってか、新しい文化を創ろうとした人々がいた。のちに通天閣建設に一役買った土居通夫(どいみちお)ら、大阪の名士たちが英国ジェントルメンズクラブを手本に、純粋な社交クラブを設立。ジャケットにネクタイ着用、政治・宗教・一切の商談を禁止するなど、設立の趣意書が倶楽部の心を今に伝えている。夜のパーティは燕尾服着用で行われたという。
★もっと深く知ろう!
【大正のモダン建築】
第1次世界大戦が勃発した大正3年(1914)、大阪倶楽部旧館が創建された。英国城館風のモダンな建物で、府立中之島図書館を建てた野口孫一(のぐちまごいち)の設計。大正11年(1922)の火災により消失した。
◀軒の出ない寄棟と方形の屋根が美しい旧大阪倶楽部
●京阪電鉄「淀屋橋」駅