八軒家浜船着場

はちけんやはまふなつきば

投稿日:2014/01/23 更新日:

八軒家浜船着場

 もとは永田屋昆布本店にあった八軒家浜船着場は、その昔、八軒の船宿があったことからその名がついたと云われている。
 この船着場は江戸時代、熊野詣の陸の 拠点として賑わった場所。十返舎一九著「東海道中膝栗毛」に登場する弥次・喜多コンビや、浪曲「石松三十石舟」で森の石松が大阪上陸の第一歩を踏みしめた 場所として紹介されている。
 今では大阪⇔京都間は電車で約30分程の移動であるが、江戸時代は船で京都→大阪は片道約6時間、大阪→京都は川の流れに逆ら うことから約12時間をかけた旅であったそう。
 現在はのんびりとクルージングを楽しめる港として復活し、人々の憩いの場となっている。

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区天満橋京町1丁目1
交通機関
●地下鉄谷町線「天満橋」駅
●京阪電車「天満橋」駅
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
3 人中 3 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
サクラアートミュージアム
サクラアートミュージアム

●大阪のまちにアートを発信 「サクラアートミュージアム」は企業美術館として、平成3年(一九九一)に本社ビル内に開設され、会社の歴史や描画材に関する資料が豊富に集められている。クレパス画約300点、油絵 …

越中井

●ガラシャ夫人最期の地 大坂城の南側、玉造に細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)邸があった。慶長5年(一六〇〇)、関ヶ原合戦の直前、石田三成(いしだみつなり)が家康(いえやす)方についた …

八軒家船着場の跡

●今も昔も京都からの玄関口  天満橋付近は江戸時代、8軒の宿があったことから、八軒家浜と呼ばれていた。京都と大坂を結んで淀川を行き来した三十石船の船着場として栄え、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『 …

大坂町中時報鐘

●今も現役の釣鐘  天満橋近くに釣鐘屋敷があった。釣鐘は重さ3トン、高さ1・9m。寛永11年(一六三四)、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が大坂城を訪れた際に、大坂三郷の地子銀(じしぎん …

難波宮跡

●日本のシュリーマンが見つけた都  難波宮の存在が確認されたのは、昭和29年(一九五四)に始まった発掘調査によってである。ここに難波宮があることを確信した山根徳太郎(やまねとくたろう)・元大阪市立大学 …