石山本願寺推定地

いしやまほんがんじすいていち

次の言語でも読めます: English

投稿日:

石山本願寺推定地

●現在の大阪へと続く始まりの場所
「大坂」という地名が歴史上初めて姿を現すの は、明応7年(一四九八)に本願寺第8世・蓮如(れんにょ)の書いた『御文(おふみ)』の中だ。
その蓮如が明応5年(一四九六)、摂津国に築いたのが大坂御坊であり、天文元年(一五三二)に京都の山科本願寺が炎上した際に本山の機能を大坂御坊に移転し、「石山本願寺」と呼ばれるようになった。
第11世・顕如(けんにょ)のときは元亀元年(一五七〇)から11年間、織田信長(おだのぶなが)との苛烈な石山合戦を経験。最終的には講和が成り、顕如が石山本願寺を退去することで決着をみた。その後、石山本願寺は焼失している。焼失後にその立地条件のよさに目をつけた豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂城を築き、そして現在に至るまでの大阪の繁栄へと続いていくのである。
「推定地」とされているのは、秀吉による大坂城建設、さらに大坂夏の陣ののち徳川大坂城建設による大規模な工事により、石山本願寺の正確な場所が不明だからである。

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区大阪城2
交通機関
地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
25 人中 21 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
ピースおおさか(大阪国際平和センター)
ピースおおさか大阪国際平和センター

 ピースおおさかは、大阪府民・市民が世界の平和と繁栄に貢献するための施設として設立されました。施設1階は「15年戦争」(太平洋戦争)、2階は「大阪空襲と人々の生活」、3階は「平和の希求」、戦争と平和の …

御臨幸の跡

●軍事大国にひた走った時代を忘れない  昭和7年(一九三二)、大阪周辺での陸軍大演習に昭和天皇が御臨幸になった記念の碑。隣に歩兵第八連隊跡碑がある。兵営は当初、現在の大阪医療センターの地にあったが、明 …

大阪活版所跡

●近代印刷の幕明け 明治3年(一八七〇)、大阪商工会議所の初代会頭・五代友厚(ごだいともあつ)の要請を受けた本木昌造(もときしょうぞう)が創設した活版所の跡である。 木版印刷が主流だった頃は、印刷に莫 …

森の宮遺跡展示室
森之宮遺跡展示室

●大阪は昔、海の中だった  縄文時代の大阪は、大阪湾が今よりもずっと内側に入りこんでいたという。その海に突き出した岬にあったのが、今の森ノ宮だ。そこで発見された貝塚は西日本最大といわれ、大量のマガキや …

秋田實歌碑・笑魂碑

●近代上方漫才の原型をつくった作家 「大阪漫才の父」。歌碑文は、「渡りきて浮世の 橋を眺むればさても危うく過ぎしものかな」。玉造稲荷神社は秋田實の子どもの頃の遊び場。明治38年(一九〇五)生まれ、昭和 …