天野屋利兵衛の碑
あまのやりへえのひ
次の言語でも読めます: English
投稿日:2017/02/28 更新日:
●忠臣蔵「男でござる」のモデル
碑は昭和14年(一九三九)に建立。横幅は4m、高さは2m近くもある。天野屋利兵衛の屋敷が現地付近にあったという伝承をもとに建てられたといわれる。
利兵衛は、赤穂藩の家老・大石良雄(おおいしよしお)から吉良(きら)邸討ち入りの武具の調達を頼まれるが、武具をつくらせた人間の密告により捕らえられる。依頼人の名を白状せよと奉行所で拷問を受けるが、頑として口を割らない。
このときに利兵衛が言ったという「天野屋利兵衛は男でござる」の名セリフは、「忠臣蔵」の中でも見せ場の一つになっている。討ち入りの成功を知り大石の名を明かした。利兵衛の義心に奉行は死罪を減じ、浪速の地追放の判決を下す。
こういったエピソードから碑には「義侠」の文字が刻まれている。元禄時代に、天野屋利兵衛が存在したのは確かだが、実像は不明である。
所在地
大阪市中央区本町橋3
交通機関
●地下鉄堺筋線・中央線「堺筋本町駅」
●地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」
同じエリアにこんなスポットがあります!
-
我が国近代化の原動力となった繊維産業は、中核となった大阪企業の活躍により大きく成長し、ここ船場界隈は東洋のマンチェスターと称され、その後の大阪の発展を支えてきました。 先の大戦による大きな試練を乗 …
-
●現存する市内で最も古い橋 東横堀川に橋が架けられたのは、天正13年(一五八五)。豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂城築城に際して、東横堀川を外堀として開削した時だといわれている。江戸時代に入ると、軍 …
-
●堂々とした古典的な装飾 中央公会堂から南に延びる、船場の背骨といわれた栴檀木筋(せんだんのきすじ)。今は三休橋筋と呼ばれるその通りに面して、ルネサンス調の建物、綿業会館がある。 昭和3年(192 …
-
大当たり浄瑠璃は実話だった近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の傑作の一つ、『冥途(めいど)の飛脚』は、実話を題材に書かれたもの。 遊女梅川に入れあげる忠兵衛が養子に入ったのが、この淡路町にあった飛脚 …
-
モナ・リザも、アダムとイヴも、精悍な騎士も、フェルナンド・ボテロが描くと、太っちょのまんまるに変身してしまう。戦後の具象画家の中でも彼ほど際立ったスタイルをもつ美術家は珍しい。この作品は、他の彫刻家 …