日本に初めて映画を輸入文久2年(一八六二)、京都に生まれる。フランスに留学し、合成染料や染色の技術を学ぶ。リヨンの工業学校では映画を発明したリュミエール兄弟の兄のほうと同級生であった。明治23年(一八九〇)、京都に稲畑染料店(現・稲畑産業、のちに本社は南船場)を設立。日本の軍服の色をカーキ色にしたのは稲畑勝太郎である。3度目のフランス留学で、リュミエールと再会。映画の配給権を許され、日本に映画を持って帰り、上映する。明治30年(一八九七)のことである。のちに映画関係の事業をすべて留学仲間の弟・横田永之助(よこたえいのすけ)に譲るが、これが日本初の映画会社・日活へとつながっていく。日仏文化協定の発足、関西日仏学館の建設、貴族院議員や大阪商工会議所の会頭など、幅広く活動。昭和24年(一九四九)没。
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