井原西鶴墓

いはらさいかくはか

次の言語でも読めます: English

投稿日:2017/03/01 更新日:

井原西鶴墓

●2万3500句の伝説
井原西鶴は、寛永19年(一六四二)に大坂の豊かな商家に生まれた。浮世草子と呼ばれる近世文学のジャンルを築き、元禄6年(一六九三)死去。西鶴は浮世草子作家となる前には、俳諧をたしなんでいたという。談山(たんざん)派の西山宗因(にしやまそういん)に師事し、自由奔放な句風で知られていたようだ。多作としても知られ、生国魂神社で一昼夜のうちに4000句、住吉大社では2万3500句を詠んだ、という伝説が残されている。

●遅咲きの才能
西鶴が執筆を始めたのは、天和2年(一六八二)、40歳の時。第1作『好色一代男』が大ヒットとなり、一躍浮世草子作家としての名声を確立する。その後も『日本永代蔵』『世間胸算用』などの作品を残し、元禄時代を代表する作家となった。同時代の近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)、松尾芭蕉(まつおばしょう)と並んで、「元禄の三文人」とも称される。

●誓願寺で発見された西鶴の墓
井原西鶴の墓は、谷町の誓願寺にある。誓願寺では戦災によって寺の資料の大半が焼失してしまったため、ここに葬られた理由は定かではない。明治20年(一八八七)頃に、誓願寺境内で発見されたといわれており、発見者の一人は幸田露伴(こうだろはん)とも伝えられる。なお、誓願寺には懐徳堂の歴代学主であった中井一族の墓もある。

■もっと深く知ろう!
【入り口には武田麟太郎文学碑】
武田麟太郎(たけだりんたろ う)が著した『井原西鶴』の一節、誓願寺が出てくるくだりが 石碑に刻まれている。碑が建てられているのは、誓願寺入り口。

西鶴を敬愛した武田麟太郎
現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区上本町西4-1 誓願寺内
交通機関
●地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目駅」
●近鉄線「上本町駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
2 人中 2 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
敷田年治先生 百園塾跡

●百園塾を開き、国学を教えた  近世大阪の国学者の一人。文化14年(一八一七)豊前(現・大分県)、敷田村に生まれる。明治21年(一八八八)、堀江に私塾「百園塾」を開き、明治30年(一八九七)に上本町に …

久本寺番神堂

 久本寺は大阪城南側と四天王寺の間にある寺町のひとつである谷町筋八丁目寺町の中ほどに位置する日蓮宗寺院である。 番神堂は境内の除厄守護の諸神を祀る堂。1間社流造りで、正面に千鳥破風・唐破風の向拝を付け …

服部良一歌碑

●昭和の歌謡曲の大ヒットメーカー  服部良一作曲の「青い山脈」の楽譜が彫られ、スピーカーから曲が流れ出すしかけがある。平成5年(一九九三)1月没。同年2月に国民栄誉賞を受賞している。平成16年(二〇〇 …

高台の頌碑

●市中の名所だった西の舞台からの眺望   高き屋に のぼりて見れば 煙たつ     民のかまどは 賑わいにけり  仁徳(にんとく)天皇が高津宮の西の舞台からの眺めを詠まれたという有名な和歌が書かれてい …

空堀商店街

 空堀商店街は明治時代からできはじめ、大正時代には、延命地蔵の縁日に当たる4の付く日の夜店が有名となりにぎわいました。戦後も、戦災を免れたことで商店が集まり発展をつづけています。  老舗、有名な飲食店 …