●日本のシェークスピア
近松門左衛門は江戸中期の文人で、承応2年(一六五三)生まれ。『曽根崎心中』などの人形浄瑠璃の作者として知られている。享保9年(一七二四)没、享年72歳。「元禄期の三文人」として、井原西鶴(いはらさいかく)や松尾芭蕉(まつおばしょう)と並び称される。近松のもう一つの呼称は「日本のシェークスピア」。その天才ぶりと後世に及ぼした多大な影響から、そう呼ばれることも多い。
●劇作に捧げた一生
近松の劇作家人生は、天和3年(一六八三)に書き上げた『世継曽我(よつぎそが)』から始まる。その後、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)と組んで浄瑠璃の作品を次々と発表。元禄16年(一七〇三)に実際の事件を題材にした『曽根崎心中』が大ヒットとなり、劇作家としての地位を固めた。得意演目の一つが、「世話物(せわもの)」と呼ばれる、市井の事件をもとにしたドラマだった。中でも『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』など、いわゆる「心中物」で庶民の人気を集めた。庶民の心情を巧みに織りまぜた作品は、後世においてもさまざまな形で再演されている。
●忘れられかけた天才の墓
近松の墓は、以前は法妙寺の境内にあった。昭和41年(一九六六)には大阪市の史跡に指定される。しかし翌年の谷町筋拡張工事に伴って、法妙寺が大東市へ移転することになったとき、墓はその場に残される形となった。その後しばらくは放置されていたが、昭和55年(一九八〇)に大阪市や住吉名勝保存会の協力で、整備された。
谷町線・長堀鶴見緑地線「谷町六丁目駅」
●近鉄線「上本町駅」