安井道頓・道卜紀功碑
やすいどうとん・どうぼくきこうひ
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投稿日:2017/03/10 更新日:
●道頓・道卜の功績
道頓は大坂城築城工事に従事。秀吉(ひでよし)からその恩賞として荒地だった現在の道頓堀一帯を与えられた。道頓は道卜ら親戚と相談し、私財を投じて慶長17年(一六一二)開削工事に着手。2年後、大坂の陣が始まり、道頓は秀吉の恩義に報いるため西軍に味方するが、落城時に戦死。以降は道卜ら親戚が中心になり工事を続け、元和元年(一六一五)に完成した。当初は南堀川と呼ばれていたものを、初代大坂城主・松平忠明(まつだいらただあき)が道頓の功績をたたえ、道頓堀と命名した。大正3年(一九一四)、道頓・道卜は従五位を贈られた。これを記念し、翌年、地元の有志が道卜の屋敷があった場所に石碑を建立。
なお現在では、道頓は成安(なりやす)姓であったことが定説化している。
●街の繁栄
道卜は道頓堀近辺の繁栄のため、寛永3年(一六二六)に、南船場より芝居小屋を誘致した。浪花五座といわれた「弁天座」「朝日座」「角座」「中座」「竹本座(のちの浪花座)」では連日歌舞伎が上演され、人形浄瑠璃の「竹本座」や「豊竹座」が人気を競い合った。芝居見物に大勢の人が集まったので、茶屋など飲食店も軒を連ねて街は賑
わい、「ミナミ」は「キタ」より早く歓楽街としての姿を見せていたようである。
所在地
中央区島之内2丁目 16 番
交通機関
● 地下鉄堺筋線/千日前線 日本橋駅
● 近鉄線 近鉄日本橋駅
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