豊竹若太夫の墓

とよたけわかたゆうのはか

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豊竹若太夫の墓

●浄瑠璃「豊竹座」の創始者
 天和元年(一六八一)、南船場の商家に生まれるが、浄瑠璃の天才・竹本義太夫(たけもとぎだゆう)に弟子入り。竹本妥女(たけもとうねめ)として美声と華麗さで人気を集めていたが、元禄16年(一七〇三)、豊竹若太夫と名乗り、豊竹座を興した。義太夫の竹本座は道頓堀の西に、豊竹座は東に位置していたので、西風、東風と呼ばれ、人気を二分。浄瑠璃は黄金期を迎える。若太夫は派手な語り口の技巧派で舞台装置や人形の衣装などにも工夫をこらしたという。明和元年(一七六四)、84歳で亡くなる。その翌年、豊竹座は廃座。竹本座も2年

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所在地
大阪市中央区中寺2-1 本経寺内
交通機関
地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目駅」
施設情報
問合せ先:本経寺 (TEL 06-6761-4802)
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