●救貧政策や福祉の充実に力を尽くす
小河滋次郎(しげじろう)は文久3年(一八六三)、長野県生まれ。監獄課長や典獄(刑務所長)の職に就く。服役囚の感化に努め、日本の監獄制度の基礎を確立した。大正2年(一九一三)、大久保利武(おおくぼとしたけ)大阪府知事に「小河室」と称する政策検討機関を知事室の隣に設けられ、迎え入れられる。着任後、救済研究会を発足し、知事や社会事業家らと意見交換を行った。小河博士は貧しい地域を何度も見て歩き、現状の認識を新たにする。そして大正7年(一九一八)、林市蔵(はやしいちぞう)知事のもと「方面委員」制度を公布。現在の民生委員制度の礎を築く。大正14年(一九二五)没。享年62歳。昭和8年(一九三三)、府庁西側に石碑が建立されたが、昭和56年(一九八一)、現在地に移転。碑の題字は元総理大臣・清浦奎吾(きようらけいご)で、大久保利武文により「我邦獄制及社会事業ノ泰斗世ニ我法学博士小河滋次郎君ヲ推ス久シ君文久三年十二月三日信州上田ニ生ル……」とある。
谷町線・千日前線「谷町九丁目駅」