小楠公義戦の跡

しょうなんこうぎせんのあと

次の言語でも読めます: English

投稿日:

小楠公義戦の跡

●破った敵への温かい心をたたえる
 小楠公とは楠木正成(くすのきまさしげ)の子、楠木正行(くすのきまさつら)のこと。南北朝の時代、正行がこの地であった渡辺の戦いで大勝。橋から川に落ちた敵兵を救出し、衣服と薬を与えたと伝えられている。昭和15年(一九四〇)「紀元二千六百年記念」として建てられた。

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区北浜東1
交通機関
●地下鉄谷町線「天満橋駅」
●京阪電鉄「天満橋駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
7 人中 7 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
八軒家浜船着場

 もとは永田屋昆布本店にあった八軒家浜船着場は、その昔、八軒の船宿があったことからその名がついたと云われている。  この船着場は江戸時代、熊野詣の陸の 拠点として賑わった場所。十返舎一九著「東海道中膝 …

大阪社会運動顕彰塔

●労働・社会運動のメッカに建つ塔  昭和35年(一九六〇)、大阪統一地方メーデーの際、顕彰塔を大阪にもつくろうという声があがり、行政や財界、有識者、労働組合などからの拠金で、毎年メーデーが開催される大 …

大阪英語学校跡

●大阪初の外国語学校 明治維新後、大阪では舎密(せいみ)局に始まった洋学校と理学校が合併し、大阪開成所が開校した。洋学教育の最先端校である。開成所は第四(のちに第三)大学区第一番中学、第三大学区開明学 …

難波宮跡

●日本のシュリーマンが見つけた都  難波宮の存在が確認されたのは、昭和29年(一九五四)に始まった発掘調査によってである。ここに難波宮があることを確信した山根徳太郎(やまねとくたろう)・元大阪市立大学 …

森の宮遺跡展示室
森之宮遺跡展示室

●大阪は昔、海の中だった  縄文時代の大阪は、大阪湾が今よりもずっと内側に入りこんでいたという。その海に突き出した岬にあったのが、今の森ノ宮だ。そこで発見された貝塚は西日本最大といわれ、大量のマガキや …