難波別院(南御堂)

なんばべついん(みなみみどう)

次の言語でも読めます: English

投稿日:2012/09/18 更新日:

難波別院(南御堂)

●正式名称は真宗大谷派難波別院
 難波別院は、浄土真宗の真宗大谷派と呼ばれる宗派である。
 文禄5年(1596)、真宗大谷派の開祖である第12世・教如(きょうにょ)が、現在の北区の天満橋と天神橋の間に位置する「渡辺の地」に大谷本願寺を開創したことに始まる。しかし、天正11年(1583)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が石山本願寺跡に大坂城を築城。城下町を整備していくにあたり、石山本願寺に隣接して建っていた大谷本願寺は、秀吉の命により慶長3年(1598)、現在地に移転した。
 総本山としての機能は、慶長7年(1602)に徳川家康の寄進によって京都に東本願寺が建立されるまでで、それ以降難波別院は、大坂第一の拠点寺院として地域に親しまれた。
 北御堂と呼ばれた津村別院とともに南御堂と称され、御堂筋の語源ともなり、今日に至る。

●俳聖の辞世句を訪ねる
 元禄期の俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)が元禄7年(1694)に没したのが、難波別院の向かいの花屋の座敷であったことから、その辞世の句が刻まれた石碑が、難波別院の境内に建てられている。
 これは天保14年(1843)の芭蕉百五十回忌にあわせて、当時の俳人たちが建立したとのことである。毎年11月の芭蕉忌にはこの偉大な俳聖を偲んで盛大な句会が催されている。

●お寺でクラシック
 境内ではめずらしい試みがされている。「お寺でCDコンサート」と銘打って、平日の昼休みの時間、本堂でクラシックのCDを流しているのである。
 「信徒さんでなくても、気軽に境内に入ってきてほしい」という難波別院の気持ちに沿う形で、近くのオフィスで働く会社員が休憩に立ち寄っている。

■もっと深く知ろう!
【芭蕉以外の句碑も】
 芭蕉の句碑の隣には、句会で指導にあたっていた山口誓子(やまぐちせいし)・阿波野青畝(あわのせいほ)の句碑も建っている。緑に囲まれた庭園で、俳句の世界に浸ってみよう。

阿波野青畝句碑山口誓子(左)・阿波野青畝句碑

現在地からルート検索
追加情報
<御堂会館について>
2019年11月、「御堂会館」が建て替えられ、17階建ての寺院山門一体型施設「積和不動産関西南御堂ビル」がオープンしました。
大阪エクセルホテル東急や御堂会館、テナントフロアで構成されています。
ホームページ
http://minamimido.jp/
所在地
中央区久太郎町4丁目1番11号
交通機関
地下鉄御堂筋線/四つ橋線/中央線 「本町駅」
施設情報
●問合せ : 06(6251)5820
●開門時間 : 9時~14時30分(本堂受付)
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
3 人中 2 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
土居通夫君像

●大阪財界の神様  大正7年(一九一八)、建立。天保8年(一八三七)土居通夫は、宇和島藩の下級武士の6男として生まれる。 大阪商業会議所で第7代会頭のとき、明治36年(一九〇三)の第5回内国勧業博覧会 …

梅川・忠兵衛 ゆかりの淡路町

大当たり浄瑠璃は実話だった近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の傑作の一つ、『冥途(めいど)の飛脚』は、実話を題材に書かれたもの。 遊女梅川に入れあげる忠兵衛が養子に入ったのが、この淡路町にあった飛脚 …

天野屋利兵衛の碑

●忠臣蔵「男でござる」のモデル 碑は昭和14年(一九三九)に建立。横幅は4m、高さは2m近くもある。天野屋利兵衛の屋敷が現地付近にあったという伝承をもとに建てられたといわれる。 利兵衛は、赤穂藩の家老 …

稲畑勝太郎君寿像

日本に初めて映画を輸入文久2年(一八六二)、京都に生まれる。フランスに留学し、合成染料や染色の技術を学ぶ。リヨンの工業学校では映画を発明したリュミエール兄弟の兄のほうと同級生であった。明治23年(一八 …

ブレンタのヴィーナス/フランチェスコ・メッシーナ
御堂筋彫刻ストリート / ブレンタのヴィーナス:E-13

 1947年の「アリーチェ」を基に、1987年に再制作された作品である。北イタリアを流れるブレンタ川で遊ぶ少女の姿をヴィーナスに見立てている。この作品がもつ平和で気負いのない雰囲気は、あまりに技量が目 …