●ガラシャ夫人最期の地
大坂城の南側、玉造に細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)邸があった。慶長5年(一六〇〇)、関ヶ原合戦の直前、石田三成(いしだみつなり)が家康(いえやす)方についた諸大名の妻子を人質にとろうとした。真っ先に細川忠興夫人のガラシャを要求。夫・忠興は、関東に遠征中であった。ガラシャはこれに応じず、家臣に長刀で胸を突かせて死んだといわれている。キリスト教徒であったため、自害ができなかった。その時火を放ち、唯一残ったのが邸内の井戸、「越中井」。このことにより、三成の作戦は失敗した。
●明智玉からガラシャ夫人へ
戦国時代の女性は、親や夫によって生き方を決められていた。明智光秀(あけちみつひで)の子・玉(たま)として生まれたガラシャは「本能寺の変」を起こした父が討たれた後、「逆臣の子」として幽閉。玉、20歳のときである。天正15年(一五八七)、玉は玉造に移り、キリスト教の洗礼を受け、ガラシャと称した。
●語り伝えられるガラシャ
越中井にある石碑は、昭和に入って、地元の大阪市婦人連合会により建てられた。碑には、侍女により伝えられた、ガラシャ夫人の辞世が刻まれている。
散りぬべき 時知りてこそ
世の中の 花は花なれ 人も人なれ
「花」はガラシャの好きだった桜を指しているといわれている。井戸は、地元の協力で今もそのままの姿で残っている。
【青刻(あおきざみ)昆布発祥の地】
越中井の南、玉造越中公園の西側に「青刻昆布発祥の地」の石碑がある。江戸時代中期、北海道より北前船で日本海と瀬戸内海を通って、良質の昆布が大坂に集まり、昆布加工業が栄えた。上町台地あたりは昆布取り扱い業が多く、この公園のある場所も青刻昆布製造業を営んでいたことから、平成13年(2001)、この地に石碑が建立された。
●JR環状線「森ノ宮駅」