大槻能楽堂
おおつきのうがくどう
次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文, 繁體中文
投稿日:2011/11/25 更新日:
●能好きの太閤秀吉
とにかく能楽に熱中していた豊臣秀吉(とよとみひでよし)。自分を主人公にした「明智討」という能をつくらせている。会う人ごとに「宮廷でお見せする」と言って家臣にたしなめられたという逸話もあるほど、朝から日暮れまで大坂城で能を演じていた。鼓方の大倉流の家元には「シテ(主役)・太閤」と記された演目が残っている。大阪城に近い上町台地で能が演じられることは歴史的にも意味深いことで、舞台の橋掛かりの壁には実物大の大阪城の石垣が描かれている。
●能楽堂の舞台裏
大槻能楽堂では観劇後、バックステージツアーを催している。能舞台の構成や仕組みの説明から始まり、音響をよくするため舞台下に規則正しく配置された大きな甕(かめ)も見ることができる。めったに足を踏み入れることができない舞台裏や楽屋の一種独特の厳粛なムードが体感できる。
●子どもと外国人とデジタル
世界遺産になった能をもっと広く知ってもらうため、さまざまな取り組みを進めている。「こどもとたのしむ能狂言」では解説付きで能を鑑賞、狂言や謡にチャレンジできる。鼓を鳴らしたり、装束を身につけたりできる、ワークショップもある。また、世界中の人々が鑑賞できるように、能のデジタル・アーカイブス化を進めている。
追加情報
●もっと深く知ろう!
【足拍子の音が響くのは?】
舞台の下には規則正しく大きな甕が埋め込まれている。これは舞台下の空間を広げ、舞台の足音の響きをよくするという音響効果のためのものである。
●高さ1m、直径1mの甕(かめ)
ホームページ
所在地
大阪市中央区上町A番7号
交通機関
●地下鉄谷町線/中央線 谷町四丁目駅
谷町線/長堀鶴見緑地線 谷町六丁目駅
施設情報
●問合せ先:06(6761)8055
同じエリアにこんなスポットがあります!
-
●現在の大阪へと続く始まりの場所 「大坂」という地名が歴史上初めて姿を現すの は、明応7年(一四九八)に本願寺第8世・蓮如(れんにょ)の書いた『御文(おふみ)』の中だ。 その蓮如が明応5年(一四九六) …
-
●大阪初の外国語学校 明治維新後、大阪では舎密(せいみ)局に始まった洋学校と理学校が合併し、大阪開成所が開校した。洋学教育の最先端校である。開成所は第四(のちに第三)大学区第一番中学、第三大学区開明学 …
-
●若き日の聖徳太子による創建 「鵲森宮」は、通称、森之宮神社とも呼ばれ、聖徳太子(しょうとくたいし)が建立した。 その創建は、四天王寺や法隆寺よりも古いとされている。崇峻(すしゅん)天皇2年(五八九) …
-
もとは永田屋昆布本店にあった八軒家浜船着場は、その昔、八軒の船宿があったことからその名がついたと云われている。 この船着場は江戸時代、熊野詣の陸の 拠点として賑わった場所。十返舎一九著「東海道中膝 …
-
●町人が中心となって町政を司る 江戸時代の大坂は、大川以南から本町通までの北組、本町通から道頓堀あたりまでの南組、大川以北の天満組に区分され、その3組を総称して大坂三郷と呼ばれていた。 各組には自 …