●幕末の歴史・ぜんざい屋事件
大利鼎吉は、幕末の志士。天保13年(一八四二)生まれ。武市瑞山(たけちずいざん)、通称半平太(はんぺいた)の土佐勤王党に加わる。慶応元年(一八六五)、天王寺の万福寺に屯所を置いていた大坂新撰組は、土佐藩浪士の不穏な情報を得、襲撃を実行。浪士の潜伏先がぜんざい屋だったため、俗に「ぜんざい屋事件」と呼ばれる。このとき、斬殺されたのが大利鼎吉である。新撰組の隊士4人に襲われ、24歳の命を絶った。大坂出身の新撰組隊士の谷兄弟が強襲をかけたとき、ほとんどの浪士は外出中で、部屋にいたのは、店主と鼎吉の2人のみ。鼎吉の奮闘もあり、討ち取るまで4人がかりで1時間を要したといわれている。明治31年(一八九八)、「正五位」を贈られている。石碑には、辞世が刻まれている。「ちりよりも かろき身なれど大君に こころばかりは けふ報ゆるなり」
大利鼎吉遭難の地
おおりていきちそうなんのち
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投稿日:
所在地
大阪市中央区瓦屋町1-11
交通機関
地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」
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