北組惣会所跡・南組惣会所跡

きたぐみそうかいしょあと・みなみぐみそうかいしょあと

次の言語でも読めます: English

投稿日:

北組惣会所跡・南組惣会所跡

●町人が中心となって町政を司る
 江戸時代の大坂は、大川以南から本町通までの北組、本町通から道頓堀あたりまでの南組、大川以北の天満組に区分され、その3組を総称して大坂三郷と呼ばれていた。
 各組には自治行政を行った惣会所が置かれ、運営の中心となる惣年寄がおり、その下で惣代が実務を担っていた。惣年寄は町奉行のもとで、年貢の取り立て、御触(おふれ)の通達、町年寄の任命、火消しの人手の指揮など、現在の市役所・司法・消防・警察などの業務を担当した。
 この制度は大阪・岡山・高知・鹿児島などにみられ、江戸時代のはじめ頃の元和2年(一六一九)から明治のはじめまで続いた。
 北組惣会所跡の石碑は大正8年(一九一九)、南組惣会所跡は昭和37年(一九六二)に建立。

現在地からルート検索
所在地
北組(大阪市中央区平野町3-4)/南組(大阪市中央区農人橋1-1)
交通機関
北組:
●地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」
    御堂筋線・四つ橋線・中央線「本町駅」
●京阪電鉄「淀屋橋駅」
南組:地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
5 人中 4 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
青銅製大砲(お城のドン)

 大阪城小天守台にある幕末の青銅製大砲である。文久3年(1863)に美作津山藩の鋳工百済清次郎が幕府の命により製作し、天保山砲台の備砲であったと伝えられる。明治になって大阪城へ運ばれ、陸軍により明治3 …

城中焼亡埋骨墳

●大坂城で命を落とした兵を弔う  大阪城玉造門の南側にある。明治元年(一八六八)戊辰戦争のとき、燃える大坂城から逃げ出さずに自害した幕府軍の兵士をたたえて、薩摩・長州藩が共同で建てた。

豊國神社
豊國神社

●やはり秀吉は大阪城が似合う  豊臣秀吉(とよとみひでよし)、秀頼(ひでより)、秀長(ひでなが)を祀る神社。京都の豊國神社の別社として、明治12年(1879)に中之島に創建されたのが始まりである。昭和 …

大坂町中時報鐘

●今も現役の釣鐘  天満橋近くに釣鐘屋敷があった。釣鐘は重さ3トン、高さ1・9m。寛永11年(一六三四)、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が大坂城を訪れた際に、大坂三郷の地子銀(じしぎん …

阿波野青畝句碑

●敬虔なカトリック教徒の顔をもつ 奈良県生まれの俳人。「ホトトギス」の同人で あった原田浜人(はらだひんじん)に師事した。「天 の虹 仰ぎて右近 こゝにあり」。教会の高山右近(たかやまうこん)像を詠ん …