玉造稲荷神社

たまつくりいなりじんじゃ

次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文, 繁體中文

投稿日:2012/04/23 更新日:

玉造稲荷神社

●衣食住の女神がご祭神
 社伝によれば垂仁(すいにん)天皇18年の秋にお祀りしたのが始まり。当時は比売社(ひめのやしろ)と称していた。聖徳太子(しょうとくたいし)がこの地に布陣し、戦勝を祈願したといういい伝えがある。戦国時代に荒れはてたが、慶長8年(一六〇三)に豊臣秀頼(とよとみひでより)により社殿が再建された。現存する鳥居は当時のものである。その後何度も焼失し、昭和29年(一九五四)氏子らにより現社殿が建立された。

●千利休(せんのりきゅう)も愛用した名水
 豊臣時代の茶人・千利休は玉造・祢宜町(ねぎまち)に屋敷を構えた。神社の南西である。この一帯は玉造清水と呼ばれる良質の水が得られ、利休が茶の湯に愛用した。清水谷の地名は今も天王寺区に残っている。当神社でも利休が生駒山を眺め茶会を催したと伝わり、利休ゆかりの地・玉造として、昭和52年(一九七七)に大阪青年会議所の音頭で「千利休居士顕彰碑」が建立された。

●玉造の地名発祥
 『日本書紀』では、当地は難波玉作部(なにわたまつくりべ)とある。玉作部は三種の神器である、玉を造る技術集団のことである。彼らが住みついたことから、玉造という地名が生まれた。ヒスイを加工した勾玉(まがたま)の輝きは、今も色あせない。この神社内に難波・玉造資料館(要予約・志納)があり、当時のままのものを目にすることができる。勾玉は曲玉とも記し、日本列島と朝鮮半島だけの固有文化である。

★もっと深く知ろう!
【団体旅行のルーツがここにあった】
 江戸時代から始まったといわれている浪花講は、現在の旅行社のようなもの。玉造の町人が講元となって運営していた。稲荷神社で旅の安全を祈願して出発する。伊勢神宮まで170キロ3泊5日、全行程徒歩の旅。今も続く団体旅行である。

◀お伊勢参りの出発点
 ここから始まる

現在地からルート検索
ホームページ
https://www.inari.or.jp/
所在地
〒540-0004 大阪市中央区玉造2-3-8
交通機関
JR大阪環状線・地下鉄鶴見緑地線「森ノ宮駅」・「玉造駅」より徒歩5分
施設情報
●利用時間 お参り時間は日の出から日没まで
●無休
●拝観無料
●設備 駐車場(10台程度)
●問い合わせ先 06-6941-3821 FAX:06-6947-7419
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
8 人中 8 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
天神橋
天神橋

●江戸時代、大坂随一の長橋  文禄3年(1594)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が架けたと伝えられ、当初は新橋と呼ばれていた。天満天神社が管理することから天神橋と呼ばれるようになったという。江戸時代は …

八軒家浜船着場

 もとは永田屋昆布本店にあった八軒家浜船着場は、その昔、八軒の船宿があったことからその名がついたと云われている。  この船着場は江戸時代、熊野詣の陸の 拠点として賑わった場所。十返舎一九著「東海道中膝 …

森の宮遺跡展示室
森之宮遺跡展示室

●大阪は昔、海の中だった  縄文時代の大阪は、大阪湾が今よりもずっと内側に入りこんでいたという。その海に突き出した岬にあったのが、今の森ノ宮だ。そこで発見された貝塚は西日本最大といわれ、大量のマガキや …

榎木大明神
玉造稲荷社 榎木大明神

●白蛇が住みつき、神の木に 玉造稲荷神社正門の真正面、道路の真ん中に立っている。 「白光大神(しらみつおおかみ)」と書かれた祠(ほこら)がそばにある。 「白光」は庶民に信仰されている「白蛇」を指してい …

大阪英語学校跡

●大阪初の外国語学校 明治維新後、大阪では舎密(せいみ)局に始まった洋学校と理学校が合併し、大阪開成所が開校した。洋学教育の最先端校である。開成所は第四(のちに第三)大学区第一番中学、第三大学区開明学 …