大阪城

おおさかじょう

次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文, 繁體中文

投稿日:2014/01/22 更新日:

大阪城

●13の重要文化財
豊臣秀吉(とよとみひでよし)がつくった大坂城は、豊臣家の滅亡とともに失われ、現在残っているのは徳川時代になって再建されたものである。敷地内の建築物は櫓5つ、塀3つ、城門2つ、蔵2つ、井戸屋形1つの計13個が重要文化財に指定されている。

●長大な石垣を築いた武士たち
秀吉の大坂城より規模の点で劣る徳川家の大坂城だが、それでも全長12㎞という長大な石垣に圧倒される。使われている石は50〜100万個と推定され、最も高い場所で水面から24.5m。そびえたつ石組みは圧巻である。この石垣は、当時の徳川家傘下の大名たちの手でつくられた。

●270年間存在しなかった天守閣
豊臣秀吉が天正11年(1583)に築城を開始したのが、最初の大坂城。慶長20年(1615)の大坂夏の陣での落城後は徳川家の管轄となり、元和6年(1620)から再建が始められた。だが寛文5年(1665)の落雷以後約270年、天守閣は存在していなかったことを知る人は少ない。その後、戊辰戦争による戦災や、陸軍用の敷地としての管理、空襲での被害などを経て、現在に至る。

●市民の寄付が生み出した現在の姿
現在の天守閣がつくられたのは、昭和6年(1931)。当時大阪市長だった關一(せきはじめ)氏の提案で、復興費150万円(現在の約750億円)は全額市民からの寄付であり、建設された天守閣は、大阪の新たなシンボルとして注目を集めた。天守閣のモデルとされたのは、大坂夏の陣図屏風に描かれた姿だという。さらに建築監督には一介の町の建築家を大抜擢するなど、完全に市民の手に委ねられた復興計画であった。

●中は博物館として歴史を伝える
天守閣の中は、近代的な歴史博物館になっていて、秀吉や大阪城の歴史を学ぶ場所になっている。ジオラマやシアタールームなどの設備も整い、また最上階の展望台からは大阪のまち並みを一望できる。展示室では、約2カ月ごとに収蔵品を入れ替えている。

大阪城★もっと深く知ろう!
【大名のマークを探せ!】
石垣の石には、その場所を担当した大名を表す印が刻まれているものがある。黒田家は□、加藤家は◎、池田家は┐の刻印である。なかなか意匠豊かなマークが揃っていて、自分の仕事をアピールしようとした大名たちの思いがおもしろい。

←マーク発見!

現在地からルート検索
ホームページ
http://www.osakacastle.net/
所在地
大阪市中央区大阪城
交通機関
●地下鉄谷町線/中央線 谷町四丁目駅
 谷町線 天満橋駅
 中央線/長堀鶴見緑地線 森ノ宮駅
 長堀鶴見緑地線 大阪ビジネスパーク駅
●JR環状線 森ノ宮駅・大阪城公園駅
 東西線 大阪城北詰駅
●京阪電鉄 天満橋駅
施設情報
●問合せ先:06(6941)3044(天守閣)
●開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)春夏秋に時間延長あり
●入場料:600円
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
2 人中 2 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
大坂橋

●大阪城を眺める絶好のポイント 大正14年(一九二五)、東横堀川の土砂を掘削する際、川底から「大坂橋 天正拾三年」(一五八五)の名が刻まれた擬宝珠(ぎぼし)が見つかった。大阪城天守閣に保存され、市民に …

生國魂神社お旅所

●「いくたまさん」発祥の地 正式名称は、生國魂神社元宮(もとみや)。 お旅所とは、一般に神様が神社から外へ出かけられるときの休憩所、仮にとどまる場所をいう。 神武(じんむ)天皇は日本統一のため九州を船 …

八軒家船着場の跡

●今も昔も京都からの玄関口  天満橋付近は江戸時代、8軒の宿があったことから、八軒家浜と呼ばれていた。京都と大坂を結んで淀川を行き来した三十石船の船着場として栄え、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『 …

天満橋
天満橋

●町役人が行き交った橋は今、2階建て  江戸時代、難波橋・天神橋と並ぶ浪花の三大橋の一つで、幕府の直轄管理である公儀橋の一つでもあった。北区天満と中央区天満橋京町を南北に結んでおり、今も昔も人々の生活 …

天神橋
天神橋

●江戸時代、大坂随一の長橋  文禄3年(1594)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が架けたと伝えられ、当初は新橋と呼ばれていた。天満天神社が管理することから天神橋と呼ばれるようになったという。江戸時代は …