●平安時代より続く道
京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道。それが「熊野街道」である。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰が盛んになり、中でも、後白河(ごしらかわ)上皇は34回、後鳥羽(ごとば)上皇は28回も行幸(ぎょうこう)した。
やがて、武士や庶民にまで信仰が広がり、大勢の人々がこの街道を往来したことから「蟻の熊野詣」と呼ばれた。
●大阪が街道の出発点
熊野詣の道は京都から船で淀川を下り、渡辺の津(現・八軒家船着場跡付近)に上陸。九十九王子の最初の王子、「渡辺(窪津)王子」で旅の安全を祈願して、御祓筋(おはらいすじ)を南下することから始まる。
天満橋の交差点から土佐堀通の南側を西に進むと、八軒家船着場跡の石碑。それを通り越すとすぐ御祓筋である。角に熊野街道出発地の石の案内板がある。ここが熊野街道のスタート地点である。土佐堀通をさらに西に進み、1筋めをすぐ南へ曲がると、渡辺王子があったとする説が有力な坐摩(いかすり)神社行宮(あんぐう)がある。本町通、中央大通を越えると南大江公園。このあたりに、2番目の王子「坂口王子」があったと伝えられている。ここから街道は、海岸線・崖があったとされる場所を避けるように上町台地へと向かう。旅の目印だった「榎大明神」の一つ前の通りを東に入り、谷町筋を越え、最初の筋を南へ。四天王寺まで道が続く。
3番目の王子「郡戸(こうと)王子」と4番目の王子「上野王子」はこの間にあったと伝えられている。それぞれの跡であると思われている場所に、石碑が建てられている。
●四天王寺、阿倍野、そして熊野へ
四天王寺から谷町筋を下り、チンチン電車を横目に見ながら阿倍野筋を歩き、松虫通付近から旧街道が残る道に進むと、大阪府下で唯一現存している王子社「阿倍王子神社」に到着する。街道は住吉大社、泉州を経て、いにしえより受け継がれてきた世界遺産までつながっている。
■もっと深く知ろう
【九十九王子】
街道にある王子とは、熊野権現の分霊を祀った「王子社」のことで、旅の祈願だけでなく、休憩所や道標としての役割も兼ねていた。また「九十九」は実際の数ではなく、数が多いという意味で使われている。
坂口王子伝承の地
(朝日神明社跡;神崎町 南大江公園)