●江戸時代から続く金融取引の中心地
江戸時代の大坂は、商品の集散地としてだけではなく、金融取引も盛んであった。金相場会所は、一六六〇年代に設立されたとされる。亨保10年(一七二五)に公許の施設となった。寛保3年(一七四三)、高麗橋付近にあった会所は北浜に移転した。
当時、貨幣には金、銀、銭があり、幕府の定めた交換比率は複雑であったため、3つの間で交換比率を決定する必要があった。それを決めていたのが金相場会所である。
また、関東では「金」、関西では「銀」が貨幣の主流で、しかも、その交換比率は変動していたので、金相場会所の役割は非常に重要だった。シカゴ商品取引所は“堂島の米市場”をモデルにしたといわれている。
明治元年(一八六八)、銀目取引停止により金相場会所は閉鎖。しかし、その跡地に大阪株式取引所が開設され、再び金融取引が活発になる。現在もこの地で大阪証券取引所が経済の発展を担っている。
●京阪電鉄「北浜駅」