道頓堀→とんぼりリバーウオーク→アメリカ村→ヨーロッパ通り→長堀通→南船場→心斎橋筋→大丸百貨店・そごう百貨店→大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室(→ネオンウォッチ)
・ネオンウォッチング
ミナミのもうひとつの見どころがネオンくらめく看板群。道頓堀を筆頭にスナックやバーがひしめく宗右衛門町、戎橋からはあの有名なマラソンランナーの勇姿もみることができます。川面に映るライトアップされた観覧車も迫力満点。「ミナミ」は昼も夜も、空くりことなく訪れる人を楽しませてくれます。
道頓堀(道頓堀・アメリカ村コース) 「ミナミのシンボル的スポット」
道頓堀川は東横堀川と木津川を結ぶ約3kmの河川。慶長17年(一六一二)、安井道頓が私財を投じて開削を始めましたが、大阪夏の陣で戦死。その後を継いだ安井道卜(どうぼく)たちによって完成された運河です。道卜はその後、幕府に芝居興行の許可を得、道頓堀川沿いは芝居小屋が建ち並んで賑わうようになりました。芝居に人が集まると、食べ物屋も繁昌するようになり、今では「食いだおれ」の大阪を代表する繁華街になっています。巨大なカニやエビ、グリコのネオンやチンドン屋風の人形や、夜、川面を染めるカラフルなネオンなど、ミナミのシンボル的スポットになっています。
とんぼりリバーウォーク(道頓堀・アメリカ村コース) 「川を身近に感じる憩いの遊歩道」
道頓堀川には西から道頓堀橋、戎橋、太左衛門橋、相合橋、日本橋の5つの橋がかかっています。中でも心斎橋筋の戎橋はたくさんの若者が集まり、昼夜を問わず多くの人が行き交う橋。この戎橋から太左衛門橋までの区間に、平成16年(二〇〇四)12月、全長170mの道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」が完成しました。遊歩道の建設や道頓堀川の水質改善を進めている大阪市の「道頓堀川水辺整備事業」によるものです。赤や青の明かりが揺れる水面を間近に眺めながらの散策はなかなかロマンチック。将来的には遊歩道にオープンカフェなどができる予定です。
アメリカ村(道頓堀・アメリカ村コース) 「体感できる現在形の若者文化」
長堀通りの南側、御堂筋の西側から阪神高速あたりまで広がるアメリカ村、通称「アメ村」。倉庫や社宅が多かった界隈に、一九七〇年代頃からサーファーたちがマーケットを開くようになったのが始まりです。現在では、三角公園や拠点ビルのビッグステップを中心に、ストリート系ファッションに身を包んだ若者たちでにぎわい、雑居ビルや路面には、輸入物の古着やアクセサリー、雑貨、フリーマーケットなど個性的な店がびっしり。まちをポップに彩る飾りやイラストもアメ村らしさを創出し、ミナミの中でも特に強い若者パワーがエリア全体にあふれています。
ヨーロッパ通り周辺(道頓堀・アメリカ村コース) 「大人仕様のシックなまちなみ」
アメリカ村から御堂筋を隔てた東側、周防町通りは、別名「ヨーロッパ通り」と呼ばれています。通りの両側に並ぶビルは黒やグレーを基調にした重厚感のあるものが多く、石畳が敷かれた歩道、ガス灯を思わせるロンドンスタイルの街灯、プランターの花などが、ヨーロッパ風の景観を演出しています。ブティックやレストラン、ギャラリー、バーといったお店もどこかエレガントな雰囲気。アメリカ村とは対照的な、シックな大人のまちです。
長堀通周辺(道頓堀・アメリカ村コース) 「高級ブランド店が次々とオープン」
長堀通と御堂筋の交差点となるエリアには、近年、海外のブランドショップが相次いでオープンし、エリア自体を高級感漂うまちにしています。大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室)も通り沿いにあります。この長堀通はかつては江戸初期に開削された堀で、船を利用した輸送路として活躍していましたが、昭和39年(一九六四)に埋め立てが完了して道路となりました。現在、その地下には、東西約730mの日本最長の地下街「クリスタ長堀」があり、地下鉄の長堀橋駅、心斎橋駅、四ツ橋駅を結んでいます。かつて川であった背景を生かして水の流れを創出し、地上の光を取り込むなどオープンな環境の中、ファッションやグルメのお店が並ぶショッピングゾーンに。地下駐車場も整備されています。
南船場周辺(道頓堀・アメリカ村コース) 「大人が心地よく過ごせるまち」
高感度なスポットとして注目される南船場は、アメリカ村がエリアを拡大するように、長堀通を越えて北へ派生したまち。ひときわ個性を放つ外観のオーガニックビルの周辺には、最新の流行を発信するブティック、セレクトショップ、雑貨店などがいっぱい。近年はおしゃれなオープンカフェやレストランも次々と開店し、都心でゆったり時間を過ごせるエリアとなっています。南船場に拠点を構えるデザイナーやOL、ビジネスマンの姿も多く、仕事を持つ大人たちが心地よく過ごせるまちです。
心斎橋筋(道頓堀・アメリカ村コース) 「歩いて楽しむ“心ブラ”のまち」
心斎橋筋は、大阪の老舗デパートやファッションビル、飲食店などが密集するミナミ随一の繁華街です。かつて長堀にかかっていた「心斎橋」に由来するこの商店街は、江戸期の初め、道頓堀南の芝居町と新町を結ぶ回遊路として発展し、格子戸と二階の虫籠(むしこ)窓を備えた典型的な町屋が連なっていました。水都らしく、橋の上には茶店があり、水辺にはカキ船が浮かんでいました。大正から昭和にかけては、東京の“銀ブラ”に対して“心ブラ”という言葉ができたほど、モダンで「ハレの場」となるまちに発展しました。心斎橋筋はぶらぶらとウインドウショッピングしながら、文化やファッション、新しい建築様式、店舗を楽しむ「遊歩」のまちです。
大丸 心斎橋店、そごう 心斎橋本店(道頓堀・アメリカ村コース)
老舗の呉服店だった大丸が心斎橋に店舗を構えたのは江戸中期のことで、大正期には早くも洋式百貨店となりました。当初、玄関は心斎橋筋側にありましたが、昭和初期にアメリカ人建築家ヴォーリズの設計により完成した現在の店舗は、垂直性を強調させたネオ・ゴシック様式で、アール・デコの装飾が華やかです。