伏見ビル
ふしみびる
投稿日:2013/01/22 更新日:
●大正時代に建てられたホテル
北浜付近は、大阪空襲の被害が少なかったことから、戦前からの建築物が今でもその姿を残している。堺筋から伏見町を西に入って一つ目の筋の角に立つ「伏見ビル」もその一つだ。当時のまま、窓の上部に設けられた円形の飾り窓が残る建物は、大正12年(一九二三)、長田岩次郎(ながたいわじろう)の設計で「澤野ビル」として建設された。コーナーに丸みをもたせている外観が特徴の鉄筋コンクリート造3階建てで、当時としてはめずらしいホテルとして人目を引いた。
●80年の歴史をもつテナントビル
しかし昭和のはじめ頃、ビルの所有者が替わり、建物はホテルから一新してテナントビルとなった。ビルには、貿易関係や薬品関連の会社などの事務所だけでなく理髪店も入居していた。年を経て、旅行代理店や飲食店、ギャラリーなどが入り、現在も、事務所やフランス料理店が入居するビルとして賑わっている。
●アンティークな鏡と窓枠
建物1階にあるギャラリーの壁面には、格調高くつくられた大きな鏡がある。この鏡は、昔、ビルで営業していた理髪店で使われていたものだ。また、部屋に光を入れている優雅なアーチ型の窓枠は、建築当時から残っているものである。
所在地
大阪市中央区伏見町2-2-3
交通機関
● 地下鉄堺筋線 北浜駅
● 京阪電鉄 北浜駅
同じエリアにこんなスポットがあります!
-
●中国の高級食品は日本の輸出品 「俵物」とは、江戸時代、干しアワビ・フカヒレなど、俵詰めにしていたことによる呼称で、「ひょうもつ」とも読む。 当時、俵物は中国の高級食品として需要が高く、輸出されて …
-
●350年の歴史保存 道修町の寄合所には、350年前から道修町に関する貴重な資料が保存されてきた。平成9年(1997)10月、それらの資料を公開するために資料館が社務所の3階に開設された。 道修町 …
-
●平安時代より続く道 京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道。それが「熊野街道」である。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰 …
-
田辺三菱製薬株式会社は道修町の本社ビル2階に「史料館」を開設、無料で一般公開をしています。大阪・道修町(どしょうまち)は全国の薬種流通の中心地。日本の薬業のルーツであり、江戸時代より「くすりの町」と …
-
● 重厚で豪壮、町屋の長大な表屋造り。 堺筋沿いに、漆黒の木造で国の重要文化財に指定された大阪の貴重な建築がある。明治33年(一九〇〇)着工。315坪に間口26mの表屋(店棟)、3階建ての母屋(主住棟 …