大阪会議開催の地
おおさかかいぎかいさいのち
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投稿日:2017/03/08 更新日:
●三権分立の礎を築く
明治維新まもない頃、新政府の方針をめぐり政局は混迷を極めた。体制を固めようとする大久保利通(おおくぼとしみち)は、仲違いしていた木戸孝允(きどたかよし)や板垣退助(いたがきたいすけ)を引き入れるため、井上馨(いのうえかおる)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、五代友厚(ごだいともあつ)らとともに会合を開いた。
時は明治8年(一八七五)、1月から2月。場所は北浜の料亭「花外楼」。民撰議院設立の時期などをめぐり、保革対立のあった実力者が意見をまとめ、立憲政体制の基礎、国民参政権を得る一歩が確立したこの会議を「大阪会議」という。
●なぜ「花外楼」で
「花外楼」の初代主人・伊助(いすけ)は非常に男気があり、幕末動乱の頃、薩長の志士を身をていしてかくまい、時には彼らの連絡役を務めたといわれる。この場所が浜に面して船を横付けでき、大川を下れば薩長の蔵屋敷に近いということも隠れ家として使われた理由の一つだ。西南戦争の際には、さながら政府の参謀本部のようであった。以来、政府の要人や財界の重鎮がひいきにし、重要な会合にも利用されるようになった。
●北浜――大阪会議を引き寄せた地
金融街・ビジネス街としての姿が色濃い北浜。明治のはじめまでは船便が発達し、京都にも結ばれていた。現在、水都再生に向けて舟運の拡大が進められている。
所在地
大阪市中央区北浜1-1 花外楼前
交通機関
●地下鉄堺筋線「北浜駅」
●京阪電鉄「北浜駅」
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