井原西鶴終焉の地

いはらさいかくしゅうえんのち

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井原西鶴終焉の地

●辞世の句を刻んだ碑が建つ
元禄6年(一六九三)に死去した浮世草子作家・井原西鶴の没後300年を記念して建てられた。
辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」が刻まれている。

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所在地
大阪市中央区谷町3-2
交通機関
地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」
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