●近代上方漫才の原型をつくった作家
「大阪漫才の父」。歌碑文は、「渡りきて浮世の 橋を眺むればさても危うく過ぎしものかな」。玉造稲荷神社は秋田實の子どもの頃の遊び場。明治38年(一九〇五)生まれ、昭和52年(一九七七)、病没。
ホームページ
所在地
大阪市中央区玉造2-3-8 玉造稲荷神社内
交通機関
●地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」
●地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」
●JR環状線「森ノ宮駅」、「玉造駅」
●地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」
●JR環状線「森ノ宮駅」、「玉造駅」
次の言語でも読めます: English
投稿日:2017/02/28 更新日:
●近代上方漫才の原型をつくった作家
「大阪漫才の父」。歌碑文は、「渡りきて浮世の 橋を眺むればさても危うく過ぎしものかな」。玉造稲荷神社は秋田實の子どもの頃の遊び場。明治38年(一九〇五)生まれ、昭和52年(一九七七)、病没。
安井家は、河内国渋川郡久宝寺村を本貫とする土豪であった。元和元年(1615)の大坂の陣で中断していた道頓堀川の開削を、平野藤次とともに完成させ、以後、日本橋北詰の宗右衛門町に屋敷を構えて、代々大坂三 …
●大阪初の外国語学校 明治維新後、大阪では舎密(せいみ)局に始まった洋学校と理学校が合併し、大阪開成所が開校した。洋学教育の最先端校である。開成所は第四(のちに第三)大学区第一番中学、第三大学区開明学 …
●約650年の伝統文化を次の世代に 大正5年(一九一六)、先代・山本博之(やまもとひろゆき)が20歳のとき能楽の奥深さに魅了され、24世観世宗家に入門した。 昭和2年(一九二七)、徳井町に「山本能 …
●敬虔なカトリック教徒の顔をもつ 奈良県生まれの俳人。「ホトトギス」の同人で あった原田浜人(はらだひんじん)に師事した。「天 の虹 仰ぎて右近 こゝにあり」。教会の高山右近(たかやまうこん)像を詠ん …
●町人が中心となって町政を司る 江戸時代の大坂は、大川以南から本町通までの北組、本町通から道頓堀あたりまでの南組、大川以北の天満組に区分され、その3組を総称して大坂三郷と呼ばれていた。 各組には自 …